投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

新卒で入った会社を半年経たずに辞める決意をした。ので、入社の経緯と退職を決意するまでを振り返る。ー完結編ー

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この記事は、心からやりたいこと、好きなことを抑えて、自分に嘘をついて就職して、次第に働くことに違和感を覚え、自分を見つめ直したとある人間の、わずかに過ごした社会人生活の軌跡を書き記したものです。

 

 

前編・後編の記事はこちら。まだ読んでない方はこちらからどうぞ。 

 

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身も心も蝕まれていった7月

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土曜日の激務は、着々と私の心と体を疲弊させていきました。

 

 

動いても動いても終わりの見えない地獄、一日を捧げなければならない勤務時間、厳しい労働を乗り越えた次の日が休めないシフト、休んでも取り切れない疲労、そもそも少ない休日…。

 

 

元々私は絵を描くのが好きでした。暇があればというか、絵を描きたいから無理やり暇を作るくらいには好きなのですが、土曜日はそんな時間もとれませんでした。それ以外の日も、帰ったら時間はあれども体が疲れきっていて、そういう気が起きなくなってしまったどころか、ついには疲れて何もしたくなくなっていきました。

 

 

こんなことではいけないと、転職することも検討しました。しかし、やはり疲労でやる気が起きないのと、何よりも

 

 

「新卒で1年どころか半年も経たずして退職した人間なんて、どこが欲しがるんだ?」

 

 

「どこも必要としないのではないか?だとすると嫌でも今の仕事にしがみつくしか選択肢はない。続けなければならない。」

 

 

という思いから、結局転職は考えられませんでした。

 

 

そもそも、新卒の就活のときに強烈な違和感を覚えて半ばドロップアウトした人間が、転職でも強烈な違和感を覚えないわけがありませんでした。

 

 

 

 

「転職という選択肢は無い、今の会社にしがみつくしかない。」

 

 

 

 

そう結論付けた私の中で「明日も仕事があるから、それに備えて休まないといけない」という強迫観念にも近い使命感が強くなっていくのでした。気が付けばずっと仕事のことばかりを考えるようになっていき、それ以外のことは考えられなくなっていました。

 

 

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仕事で疲労していく体、追い詰められていく心…。

 

 

段々と、どす黒い感情が私を侵蝕してきていき、かつて味わったことのある感覚に再び相対するのでした。

 

 

 

 

「死にたい」

 

 

 

 

就職活動のときに何度も味わって忘れることのできない、粘っこくまとわりつくような黒い感情が、今再び私の心に広がったのでした。

 

 

しかし私は、自分が「死にたい」と思った理由には心当たりがありました。

 

 

長時間労働で潰されていく人生の時間、代わりの利く誰でもできる仕事、好きなことが存分にできない不満…細かいところまで挙げたらきりがありませんが、主にこの3つの問題が解決されないことには、私の中の「死にたい」が消えないと考えました。

 

 

考えれば考えるほど、今の仕事は限界だと思いました。小売業にいる限り長時間労働は改善されないし、それでは好きなことをする時間も取れません。誰でもできる仕事では自分のアイデンティティが発揮できない…。

そう分析して、導き出された解決策は、仕事を辞める」それだけでした。

 

 

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しかし、解決策が浮かんでも中々実行には移せませんでした。その理由は大きく2つありました。

 

 

まず一つは、現実的な問題として、退職したら安定的な収入が無くなって金銭面での不安が付きまとってくると思ったからでした。

 

 

かつての新卒の就活では、このまま仕事に就けなくて無職だったら、お金が無くなって生きていけなくなると非常に焦り、不安になりました。その気持ちに追われながら生きるのは嫌なので、もう少し稼いでから辞めた方がその点は安心できるから、まだ仕事を続けたほうがいいのではと悩みました。

 

 

もう一つは、退職を申し出るにあたって上司にどう切り出せばいいか、どういう理由を言えば納得や理解をしてもらえるのか、わからなかったからです。

 

 

加えて、入社して半年も務めていない人間が、仕事を辞めたいと言ったらどう思われるのかと考えると、怖くて言い出す勇気が持てませんでした。

 

 

鬱屈した気分の中で、やりたくもない仕事をこなす日々でしたが、それでもやる気がないと思われないよう、表向きではいつもと変わらないように見せかけました。もういっその事、職場で倒れないかなと願ったりもしましたが、倒れることはありませんでした。

 

 

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——やっぱり、死んだほうが楽になれるのかな…?

 

 

 

 

ある休日にそう思い、死のうとしました。けれども結局できなくてやめました。

 

 

もう自分がぐちゃぐちゃでした。どうしようもない気持ちで心がいっぱいでした。わけがわかりませんでした。どうすればいいのかわかりませんでした。涙がこぼれました。

 

 

「死ぬことができない自分はなんて臆病者なんだ。クソみたいな気持ちを抱えて、またゴミみたいな世界を生きていくのか」と絶望しました。

 

 

一方で「どうせ死ぬなら、好きなこと、やりたいことをやってから死のう」という気持ちもあり、私はやりたいことを思い出していました。その1つに、自分の作品を作ってコミケに出展するという夢がありました。

 

 

「どうせ死ぬならこの夢を叶えてから死んでもいいよね?何ならやりたかったことやってから死んでも構わないよね?」

 

 

そうやって、死ぬのだからもう好き勝手に生きようと開き直りました。

 

 

全てが動き出した8月

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開き直ったとはいっても、まだ自分をさらけ出す勇気が出なくて、迷いが断ち切れなくて、どうすればいいのか仕事中も悩んでいました。

 

 

そんな折、やってきた2019年夏コミ。

 

 

コミケ史上初の4日間開催、リストバンドの導入、企業ブースとサークルスペースが別々の会場に配置されたことなど、色々とイレギュラーとなった環境の夏コミに私は飛び込みました。

 

 

大学生のときに夏コミで一般参加が1回、冬コミでサークル参加が1回の計2回は参加して、一応どういう感じなのかは掴んでいました。ただ、本格的にサークルを見て回って、目当ての同人誌を手に入れるのは初めてでしたので、その辺の勝手はわかりませんでした。

 

 

参加したのは、1日目と4日目。本当は3日目をメインにする予定でしたが、仕事だったので無念の不参加となりました。

 

 

これは余談ですが、結果的に3日目は不参加でよかったと思っています。参加していたら午前中から行っていましたので、そこで熱中症になって倒れていたかもしれません。人間万事塞翁が馬というのを実体験した感じでした(C96・3日目に運営のミスにより一部の待機列が炎天下で放置されてしまい、それにより熱中症者が続出し大変な事態が発生したのは報道の通りである)。

 

 

コミケに参加してまず思ったことは、何とも曖昧で上手い表現ではないですが、全員が生き生きしている、キラキラしているなということでした。

 

 

コスプレをしている人、サークルで出展している人、スタッフの人、そして一般参加している人…誰もが主役であり、コミケは全員の「ハレの日」ということを認識しました。やはり、好きなことをしているときに人は輝くのだと思いました。

 

 

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そんな非日常の夢を見せてくれたコミケが去ってすぐのとき、職場のおばちゃん社員からこんな一言を言われました。

 

 

「最近、笑わなくなったね」と。

 

 

恐らく、7月からずっと悩んで、葛藤して、迷って、苦しんでいたことを見抜かれていたのかもしれません。自分では隠せていたつもりでも、そうではなかったようでした。

 

 

そのおばちゃん社員と二人だけになったわずかな時間、ほんの少しだけ話をしました。今の仕事は長く続けられないと思ったこと、長時間労働で疲れて自分の時間が持てないこと、そして近く退職する決意があることを話しました。

 

 

古びた観念や嫌味などを言うような人でなくて、本当に良かったです。職場にそうした「老害」じみた類の人がいなかった点については、私は恵まれていました。

 

 

退職と新たな決意と

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8月21日。ついに勇気を振り絞って上司に退職を申し出ました。

 

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そうしたわけで、随分と遠回りをして、今ようやく自分の道へ進むことを決意できました。

 

 

世間的に見れば、私の就職は失敗なのかもしれません。新卒で入った会社を半年も経たずに辞めるのですから、「仕事選びを間違えた結果」「しっかりと就職活動をしなかった結果」と言われても反論はできません。事実として私の就活はそうだったのですから。

 

 

しかし、私はそうは思っていません。ここに就職しなければ、本当の自分の思いに気づくことなく人生を過ごし、年を重ねてから後悔したのかもしれないと考えると、そういう気付きを与えてくれたこの職場に来たことは、私に必要で意味のあることだったと捉えています。

 

 

それに、自分なりに学んだこともあります。

 

 

仕事は人とのつながりがあってこそ成り立つということ。誰も見ていないと思っていても、どこかで誰かが必ず私のことを見ているということ。メモをすることの大切さ。話せる誰かがいることのありがたさ。 私は真面目さが取り柄だということ。

 

 

労働条件はお世辞にもいいとはいえませんでした。しかし、重ねて申しますが人間関係については嫌な人がいない場所だったので、本当に恵まれました。

 

 

私が目指すものは、果てしない道の先にあるのかもしれないし、あるいは一生を費やしても届かないものなのかもしれません。確信をもって言えるのは、人とは違う道を歩かなければ手に入らないものだということです。

 

 

既に私は人とは違う、険しく厳しい道を歩き始めています。

 

 

途中でへばるかもしれません。弱音を吐くかもしれません。投げ出したくなるかもしれません。また迷うかもしれません。誰からも理解されなくて、評価されないかもしれません。ずっと孤独なのかもしれません。

 

 

それでも、私が行くと決意した道を、私は歩き続けます。きっとそこに、後悔のない充実した私だけの人生があると信じています。