どうも皆さま。ヒトヒラです。
皆さんはスーパーやコンビニなどで買い物をしますか?
ファミレスや居酒屋チェーン店などを利用しますか?
私も利用しないわけではないですが、仕事を辞めてからというもの、そういった店に行きづらくなってしまった上に、長居もあまりしたくなくなりました。
今回はかつて販売業で激務を経験した人間の、仕事で負ってしまった弊害のようなものをご紹介いたします。
スーパーに長くいられない
私自身が一番実感している弊害が、スーパーに長い時間いられなくなってしまったということです。
大きい売り場を見ると、その売り場を埋めるのにどれだけの時間がかかるか、どれだけの量の品出しをやらなければならないのか、開店前にどれだけ朝早く来てそのことをやっているのかと、どうしても考えてしまうのです。
品物の種類が豊富にあるというのは、消費者的にはたくさん選べてバリエーションもあるから楽しいのかもしれません。
一方で、店の側からすると管理がその分大変だし、売り場に何を出しているのか覚えるのが大変だし、品出し大変だし…と思ってしまいます。
考えるだけで、めまいと吐き気がしてきます。
また、スーパーは生活に欠かせないものを売っている場所ですから、多くの人が利用します。
それゆえ必然的に人がたくさんいますので、人込みが苦手な私はきつくなるときがあります。
それに加えて、スーパーに人が大勢いるのを見ると、かつて死ぬほど忙しかった土曜日の出勤日のことを思い出してしまいます。そうしたときは決まって、買い物なんか放り出して立ち去りたい気分になります。
それくらい、スーパーという場所が私にとっては居心地が悪いというか、近寄りがたい場所になってしまいました。
それでも、生活のためには行かなければならない場所でもありますので、行くときは手早く済ませて長居しないことを心がけるしかありません。
忙しく働いている店員を見ると、かつての自分を思い出してしまう
スーパーなどのお店で店員さんがたくさん荷物を運んでいたり、品出ししていたり、お客さんの対応をしているという様子を見ると、働いていた時の自分を思い出します。
商品を台車満杯に乗せて、スカスカに空いている売り場を埋めたこと…
担当以外のことを訊かれて、答えられないから担当の人を探し回ったこと…
忙しいときにお客さんに話しかけられて作業の手が止まり、それで仕事が詰まってせわしなく働いたこと…
精神的にも肉体的にもつらくてきつい日々のことを思ってしまいます。
もう、関係ないことであるにもかかわらず。
スーパーだけではありません。他の販売業の人や飲食店で働いている人を見ていると、自分が色々なものを削って働いていた日々を思い出します。
そして想像するのです。
「あの人たちもまた、かつての自分と同じように何かを削って働いているのだろうか、抜け出したくても抜け出せない状況にあるのだろうか、どれくらいの時間働いているのだろうか」と。
色々と考えて疲れるし、値段の安さの裏に人の犠牲が隠されているような気がして、利用したいと思えなくなりました。
それで、少なくとも飲食のチェーン店にはあまり行きたくなくなりました。
「自分には関係ない」と言い聞かせて、自分を保つ
他人のことを自分に重ねるのは、それはやるべきことではないと思っています。
利用しているサービスの提供を行っている人のことをあれこれと考えてもきりがないですし、何よりも自分自身がつらくなってしまいます。
つらくなってきたとき、私は「これは自分のことではない。そこで働いている人の問題なのだから考える必要は無い」と、強く頭の中で唱えるのです。
本来とは意味合いが違うかもしれませんが、アドラー心理学でいう「課題の分離」を、他の人のことを思ってつらくなったときは心がけるようにしています。
そうでないと、私が他人のことに引き込まれ、抜け出せなくなってしまいますから。
冷たいようですが、こうしないと自分が保てなくなって、崩れてしまいます。
もっと器用に立ち回れたら、少しは苦労も減らせるのかな。
私がこうなるきっかけとなった仕事を、辞めた経緯と決断をまとめたお話はこちらです。
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