今週のお題「2020年の抱負」
私の過ごした2019年をごく簡単に振り返りつつ、これからの2020年をどう生きていくか、ということをここで報告させていただきたいと思う。
ブリーフィング・2019
2019年は、激動の1年だったと自分で思っている。
うつになっても就活して決まった会社に新卒で入って、3ヶ月目で色々とつらくなり始めて、わずか半年で耐え切れないと思ってあっという間に退職した。
仕事を辞めて、自分はどう生きていたいかという思いを両親に語ったら、こと父親から「現実を見ろ。夢ばかり見るな」と否定されて、また生きることの意味が分からなくなったりもした。
夏のコミケに参加して、諦めかけていた夢を思い出してもう一度追いかけようと決心したけれども、空虚と虚無に囚われてノイローゼになって投げ出した。年末で、年が変わる直前のことだったので、もう大波乱もいいところだ。
こう書くと、まるで良かったことがなかったかのように思われるかもしれないが、私自身はそう感じてなどいない。
仕事に関しては、ただ自分がその生き方をするのに向いていない人間だったということが判明したわけであるし、仕事が本当に自分がやりたいことを考えさせてくれたと思っている。
退職後は、家族関係と自らに存在する生きづらさと対面して、どうすれば自分が自分らしく生きることができるのかと、とにかく考えて行動し始めた。
やりたかったことにも、どんどんと手を出し始めた。その最たるものは女装だった。また、庭園巡りがそうであるように、外出して自分の知らない景色を見に行ったりもした。
そして、ブログという手段を用いて自分を発信することで、自分だけでなく他人のためにも生きることができる人間を目指すようになった。その延長で、ブログで収益を上げたいとも思った。
こうしたことがあったので、2019年は私にとってまさに激動だった。
フォワード・2020
基本的な活動自体は、去年とそう大きく変動することは無いだろうと思っている。
ブログにて、私が触れたものやそれに対しての所見などを発信する。そうすることで私という存在がいたことを残す。やはり第一義的には「自分のため」に活動しようという魂胆である。
そしてもう二つ、新たな活動指針を見つけ出した。
社会的に弱い立ち位置の人に寄り添い、べったりしすぎない程度に見守ること。
自らがいる「社会のはみ出し者」という立場や視点から、この社会をただ冷酷に観察し続けて、時に異を唱えること。
観察し続けるといっても、「監視者」という大それた人間になろうとは思っていない。この社会の辺縁を生きる一介の人間として、思うことをしっかりと主張していきたいという話である。
それらの思いと方針のもと、2020年という1年を私は歩んでいく。