投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

新卒で入った会社を半年経たずに辞める決意をした。ので、入社の経緯と退職を決意するまでを振り返る。ー後編ー

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この記事は、心からやりたいこと・好きなことを抑えて、自分に嘘をついて就職したけど、その生き方に違和感を感じて自分を見つめ直した、とある一人の人間の、わずかに過ごした社会人生活の軌跡を書き記したものです。

 

 

この記事は後編となっています。 前編をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ。

 

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右も左もわからず、ただ必死だった4月

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ついに迎えた4月1日。正式に入社すると同時に、その日から配属先の店舗で実際に働くことになりました。私が配属になったのはスーパーの中の精肉課、つまりお肉屋さんです。

 

 

一応、入社の時にどの部門に入りたいか希望を聞かれ、精肉がいいですと答えましたのでそれが叶ったことにはなります。

 

 

なぜ精肉課にしたのかという理由は、建前では技術を磨いて一人前になりたいとしました。しかし本当のところは、人とコミュニケーションをとるのがとても苦手なので売り場にずっといるのが嫌だからという非常にネガティブな動機からです。

 

 

勤務初日。まず最初に訪れた困難は、職場の先輩の話や言われたことを覚えられないことでした。

 

 

メモや筆記用具を持っていなかったので、言われたことをメモしたくてもできませんした。というよりは、メモをしなくても言われたことは覚えていられるだろうと高を括っていまして、メモする気も最初はありませんでした。

 

 

ところが、一度言われたこと、教えられたことを覚えられていないのです。やること、なすことすべてが初めてで知らないことばかりなので、何かを教わるたびにその前のことが頭から出て行ってしまって、身についていませんでした。

 

 

「一度教わったことだから、わからないなんて言えない、どうしよう。嫌だ、もう働きたくない。仕事辞めたい。」と冗談抜きで思いました。

 

 

最初の1か月、特に最初の1週間は本当に仕事が出来なくて、何度も心が折れそうになって仕事辞めようかなと考えました。ですが、仕事が覚えられなくてできないという理由で、1か月もしないで退職するのは情けなさすぎると思って、踏ん張りました。

 

 

私はただひたすら必死に、がむしゃらに仕事に取り組みました。そして気が付いたらあっという間に4月の終わりにさしかかり、大型連休が目の前まで来ていたのでした。

 

 

世間は10連休でも関係なく働いた5月

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新天皇即位に伴い5月1日が祝日となり、祝日法により4月30日と5月2日が休日となったことで、今年に限り前代未聞の10連休という超大型連休となったゴールデンウィーク。

 

 

元号も平成から令和へと移り変わり、世間は年末年始の如きお祝いムード一色といった感じでした。

 

 

一方私はというと「あ~10連休か~、いいな~自分も休みたいな~…。せめて3日くらい休めないかな~?でも無理なんだろうな~…。」なんて思いながら、相も変わらずお勤めをしていたのでした。実際のところ、休めたのはシフト休みの日だけでした。

 

 

ゴールデンウィーク中日は、みんなどこかへ出かけていたのでしょう。お店は訪れるお客さんが目に見えて少なく、店内はガラガラでなんとなく寂しい気がしました。

 

 

ゴールデンウィークが過ぎ去り、いつもの現実が世間の目を嫌でも覚まさせている中、私は「10日も休んでいたらやることなくて暇だったから逆に仕事でよかったかも。五月病にもなってないし。」なんて思ったりもしました。五月病とは実際無縁でしたが、入社2か月目にしてかなりブラックな考えに染まっていました。

 

 

そのときは、仕事が段々できるようになって余裕が出てきて、仕事が楽しくなってきた時期でもありました。それゆえに、このように仕事に身を捧げるかのごとき思考をするようになったのだろうと思います。

 

 

5月末、社員の異動に伴いシフトが変更となりました。火・土の休みだったのが、月・金の休みとなりました。仕事の流れやペースをつかんで慣れてきたところでしたが、再び慣れない環境へと身を投じることになりました。

 

 

振り返ってみると、ここが大きな転換期だったと思います。

 

 

地獄へと駆り出され始めた6月

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シフトが変わったことにより、火曜日と土曜日という未知の領域へと駆り出されることになりました。火曜日はまだ平和的な感じでしたが、土曜日は地獄の戦場でした。

 

 

どちらの曜日も広告の品や特売品を大量に出すので、朝の品出しの時点で既に大変でした。特に土曜日は朝市・夕市をやる関係で品出しの量が多すぎて、開店前までに出し切ることができないほどでした。

 

 

どの商品をどこに出せばいいかわかるように売り場の棚のスペースを確保しておいて、後から来るパートの人に品出しを任せないと仕事がどんどん詰まることになってしまいます。ですが、最初はバカ正直に広告の品や特売品を全部ほぼ一人で陳列して、更なる地獄を見ました。

 

 

パートさんに品出しを任せないと、私が定番商品の品出し(こちらもそれなりの量をださないとすぐに売り場が空になる)をしている間に商品づくりに入ってしまいます。それで包装や値付けをしなければならないものが、凄まじい速さで溜まっていってしまい、追いつけなくなるのです。

 

 

商品を乗せる台車が埋まっていき、空いている台車がなくなり、最終的には商品づくりまでもが詰まってしまうことにならないよう、可能な限りの速さでやることを次々と処理していかなければなりませんでした。

 

 

早く商品の包装を終わらせてやることを詰まらせまいと必死に動く私。しかしどれだけ頑張ろうとも、圧倒的物量を一人で捌くのが元々無理な話なのです。

 

 

土曜日は最大で5人が商品づくりを担当するのに対して、包装・値付け・売り場の補充を担当するのは基本的に私一人でした。オートパッカー(商品を入れると自動でラップをかけて包装してくれる機械。値付けもこの機械でやる)は一台なので、私が必死で頑張る以外にどうしようもありませんでした。

 

 

厳密には、ハンドラップもあるので包装に関しては2人が担当することもありますが、ハンドラップのほうはあくまでもオートパッカーで包装できない商品を包装するためのものです。ハンドラップでオートパック可能な商品を包装するというのは、オートパッカーだけでは処理が追い付いていないなどの緊急時のときですので、基本はあてにできませんでした。

 

 

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加工場の状況だけでもおぞましいですが、土曜日はそれだけではありません。何の商品が無くなっているか、あるいは少なくなっているかを確認するために売り場の様子も見なければいけません。

 

 

特に朝市の時間帯(9時30分から13時30分まで)は、大勢のお客さんが来て商品がすぐになくなり売り場が空になっていきます。とにかく急いで補充をしなければならない状況の中で「何々の商品はないんですか?」などとお客さんに聞かれたときには、地獄っぷりにさらに拍車がかかります。

 

 

お客さんへの対応を最優先に処理しないと、「店員を呼んだのに対応してくれない。どうなっているんだ」などとクレームを入れられる可能性がありますから、嫌でも一度作業を中断して対応せざるを得ないのです。

 

 

お客さんの対応をしている間も当然商品づくりは進められます。こちらの都合などお構いなしで止まってなどくれませんから、私の作業の手が止まってしまって仕事が滞ることもありました。

 

 

売り場を見た後、商品を補充する場合は出すべきものを台車に積んで、値段をつけて売り場に陳列。終わったら、積みきれなかった商品を出すか商品の包装作業に取り掛かるといった流れで動いていました。

 

 

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朝市が終わるまでは一息付ける暇もありませんでした。売り場と加工場を頻繁に行き来したり、加工場内でもあっちこっち動き回るので毎回とても疲れていました。

 

 

朝市が終わる時間になる頃、パートの方々が仕事を終えて帰っていきますので一旦商品づくりと包装作業は落ち着くと同時に、やることが一通り終わります。それが大体14時頃で、休憩に行くのもそれくらいの時間でした。休憩は1時間ですが、あまりの忙しさで疲労した体を休めるには短かかったです。

 

 

休憩が終わっても、すぐに夕市の時間(15時30分~18時30分まで)がやってきます。

 

 

パートさんがいない分、商品の包装をする量自体は減るのでその点は楽になりますが、今度は体の疲労で動きが鈍くなります。休憩後の後半戦は、どれだけ気力を絞れるかの勝負という感じでした。

 

 

大体夕市が終わる頃(おおよそ18時過ぎくらい)に仕事をあがっていました。家に帰ると疲労でぐったりして何もやる気になれずにただ横になって寝て、夕飯の時間になったら一度起きて夕飯を食べて、お風呂に入って明日に備えてさっさと寝るだけでした。

 

 

土曜日は、もはや仕事で一日が潰れるといっても過言ではありませんでした。

 

 

次の日である日曜日も出勤日ですので、ゆっくりなどできません。土曜日の疲れを引きずって仕事に行っていました。気分は最低最悪の極みでした。

 

 

シフトが変わっていつの頃からかは覚えていませんが、仕事が終わって帰宅しても疲れて何もしたくなくて、ただ寝てご飯を食べてお風呂に入って明日に備えて寝る、それだけの生活になっていきました。

 

 

この頃から、少しずつ、しかし確実に私の体と心が蝕まれていったのでした…。

 

  

 

完結編はこちらからどうぞ。 

 

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