少し、愚痴を書きます。取り留めもない、本当にまとまりのない、愚痴です。
読んでも、恐らくあまりいいものではありませんので、気分が悪くなったりしたらすぐにここから離れることをお勧めします。
それでもって、好きなことして気を紛らわせてここのことなんてさっぱり忘れてくださいな。
…よろしい?
じゃあ、本題。
「両親」って、いるじゃないですか。父親とか母親ね。
あれって結局、血がつながっている・DNAが受け継がれているとかの生物学上のつながりはあっても、人間性・価値観・心は受け継がれないというか、全然別だなって最近思うのです。
何が言いたいのかというと、自分に近しい人とはよく言うけど、突き詰めれば結局のところ、限りなく自分と距離が近い、ただそれだけの「他人」なんだなということです。
自分と距離が近い、というのがかなり厄介で、私としてはそれだけでも苦しさを感じてしまいます。
相手は相手で、私ととても距離が近いからという理由だけで、私のすべてを把握したように思い込んで勝手に私を決めつけ、「こうあってほしい」という理想の姿を勝手に形作って、当の私本人が望まずともそれを押し付けてくるのです。
「あなたのためを思って」と言いながら、本当は自分のために、私をコントロールしたくて仕方ないのではないかと思うのです。
ここまで考えている私はもう人間不信の領域に入っているのかもしれませんね。
私がやりたいことを、両親は否定してきます。「そんなことやってないで」と。
向こうが「そんなこと」と思っていることが、私にとっては「とても大事なこと」だということに気が付いてくれないのですが、もう諦めました。
何度言っても受け入れてくれないのであれば、言うだけエネルギーと時間と手間が無駄になりますから。
私事ですが、やりたいこと・好きなことをして生きて、自分の望む人生を進みたいわけでありまして、実際会社を辞めました。
ですが両親にはこのことを伝える気は全然ありません。
理由は、私がツイッターで呟いたツイートでわかってもらえるかと思います。
仕事という障害が無くなっても、今度は両親という新たな障害が阻んでくる。
— ヒトヒラ(イラスト用) (@hitohira_paint) August 31, 2019
「好きなこと」で生きることを許さず、「現実」という刃を振りかざし、脅してくる。
「本当の私」ではなく、「両親が望む私」でいさせようとする。
でも両親はきっと、私が「両親が望む私」の人生を歩んだとしても、責任なんて取ってくれないどころか、むしろ「自分でそうしたんじゃないか」と言って突き放してくるだろう。
— ヒトヒラ(イラスト用) (@hitohira_paint) August 31, 2019
だったら私の人生に介入しないでほしい。
責任が取れないのなら何もしないでいてほしい。
誰かが責任を負ってくれる人生は確かに楽かもしれません。
用意されたレールの上を、自分は何も考えずに言われたまま走ればいいだけですから。平らにならされ、舗装された歩きやすい道を歩けばいいだけですから。
ただ、そんな「他人」の人生を進んで、満足できますか?
もしも人生に責任を負ってくれていた誰かがいなくなってしまったら、どうしますか?
正直なところ、私は「他人」に私の人生の責任なんて負ってほしくありませんし、負わせません。
私自身が責任を負わなければ意味がないと思っていますから。
そういう話でした。それでは。