どうも皆さま。
ここでは、私ことヒトヒラの紹介をいたします。つまるところ、自分語りです。
残念ながら大層なことは語れません。平々凡々としているし、何かすごいものを持っている人間というわけでもない、そこら辺の一般市民ですから。
それでも、私という人間を知ってほしい。それだけです。
もしも私という人間にご興味がおありでしたら、お読みくださいませ。
それなりに優秀であるも、どこか満たされていない高校時代
振り返ってみれば、勉強はそれなりに出来るほうでした。
実際、小中と学習塾に通っていましたので、学校の勉強はそこそこ良い成績をとることはできました。運動はできないので、体育の実技とかはあんまりでした。
ただ、勉強ができないと、そのことを親からグチグチ言われるので、そういうことをいわれたくがないために勉強をしていたという感じでした。
自分のためではなく、親や先生といった「他人」のために勉強していたというのが正しいのかもしれません。
高校は結構進学に力を入れている高校に通っていました。さすが進学校なだけあって、毎週のごとく小テストなり何なりがあって、勉強まみれの学校生活だった気がします。
英語の単語テストや文法テスト、数学の小テスト、現代文の小テストなどなど…。
高校になってから理系科目がダメで、特に数学は大っ嫌いで、赤点を取ることも普通にありました。
どうにも、途中で間違えるとその先がすべて違ってしまって、違う答えになってしまうというのが気に食わなくて嫌いでした。
見直しをしたところで、どこが間違えてるかわからないし、そもそも計算が長いと見直す気にもなれないし…
物理もそれ自体は面白そうではありましたが、高校1年生の物理基礎の授業が嫌な先生が担当になってしまったので、苦手意識があります。
「休んでいないなら、授業でやったところはできて当然」といったことを言う先生で、「わかりません」と生徒が言おうものなら怒った口調で色々言ってくるものですから、それが恐ろしかったです。
クラスのみんなが先生に当てられないか、びくびくしながら授業を聞いていたような気がします。
部活動は、高校2年生のときに少しだけ演劇をやりました。一般的に青春と呼ばれる時期に、部活をやったのはこれだけです。
高校生になるときは、きっとアニメのようなワクワクした世界が待っているのかと思っていましたが、現実はこのような結果でした。
私にとっての高校生活はどことなく灰色で色あせていて、思い返すと無味乾燥とした虚しさがこみ上げてくるような、そんなものに仕上がったのでした。
見つけ出した夢と、突き付けられる現実に挟まれた大学生時代
系列校だったのでエスカレーター式に進学して、都内の某大学へ入学しました。当然ながら文系大学です。
少々イレギュラーな入学をしているゆえ、センター試験や一般受験は受けていなくて、入学当初や受験の時期に聞くその手の話題が振られても全然わかりませんでした。
大学生時代は、勉強よりもサークル一筋という感じの生活を送っていました。
空きコマの時間帯はサークルに行って、たまーに授業サボってサークルにいたりと、ある意味では健全な大学生そのものでした。
ちなみに大学のサークル何をしていたのかというと、自主制作でアニメーションを作っていました。
そんなことをしていたら、アニメ制作とかイラスト描くのとかが好きになってきたので、そういう仕事を目指してみたいなと思い始めました。
が、時は既に大学3年生の夏、齢19。
そういった方向を目指している人は早いうちから既に目指していると思いました。
それに、それで暮らしていける確証もなければ、技術的に上手いわけでもありませんでした。
「今更目指すには遅すぎたのでは?」「それは趣味としてやって、仕事は仕事として分けたほうがいいのでは?」
と思い悩み、葛藤しました。
夏が過ぎて秋になると、インターン・就活ガイダンス・学内企業説明会といった催しの告知がどんどんと増えていき、どんなに嫌でも現実を突き付けられるようでした。
やりたいことを見つけて、それがやりたくて、それ以外はやりたくなくて仕方ありませんでした。
けれども、どれだけ考えたところで、そんな心のもやもやが晴れることがないまま、人生で最大の選択を迫られる時期がやってくるのでした。
そう、就職活動です。
結局私はその時期になっても、自分が社会へ出るという実感なんて持てませんでしたし、何をどうすればいいのかも分かりませんでした。
3年生の2月末、形の上では就活解禁目前の時期に、前述した葛藤や自分の今までの生き方への不満といった事情が重なり、心が限界を迎えてしまったのでした。
うつになって長いこと塞ぎこみながら、それでも就活は続けて、11月の末にスーパーを経営する会社に内定をもらって就活を終わりにしました。
このときは、やっと全ての苦しみから解放されたように思えて、晴れやかな気分になりましたが、後のことを考えると束の間の平穏に過ぎなかったのでした。
一瞬の輝きのような、太く短い社会人時代
何だかんだで新卒での就職はできた私でしたが、結論から言うとこの仕事は長続きしませんでした。
何の仕事に就いたのかというと、食品スーパーの販売員、その中でも精肉部門のお仕事、つまりお肉屋さんをしました。
入社当初こそ張り切っていました。
しかし時間が経つにつれ、誰でもできるような面白くない単純作業だと感じ、仕事への興味もやる気も湧かなくなっていきました。
何よりも、仕事に自分の人生の時間を取られすぎているのが最大の不満でした。
普段でも6時出勤17時退勤、休憩1時間の10時間労働、拘束11時間で、土曜日は6時から18時まで、休憩1時間、実に12時間も拘束を余儀なくされました。
加えて、朝は4時半起床ということも考えると、一日の半分以上を仕事に捧げていることに気が付きました。土曜日なんて仕事で一日が終わるようなものでした。
気が付けば、仕事で疲れ果てて帰宅したら横になって眠り、夕飯の時間になったら一度起きて、お風呂に入って、そして朝早いから寝坊して遅刻しないようにさっさと寝る…という生活サイクルになっていきました。
「仕事のために自分は生きているのか?何のために自分は生きているのか?」
と自問し、鬱屈した日々を過ごした結果、再び心が限界を迎えてしまいました。
そしてまたそこで考えて、悩んで、迷ったけれども、「会社を辞めて自分の好きなこと・やりたいことをして生きる」 ということにしました。
新卒でスーパーの店員に就職して働き、退職を決意するまでの経緯をまとめた記事はこちらです。
これからに向かい、移ろいゆく私
私はきっと、これからは「変わった人」であり続けます。
別に目立ちたいとか、有名になりたいとかではありません。
ただ、みんなと一緒だと面白くないし、何よりも窮屈さを感じてしまうから私はそうあるというだけです。
結局のところ、変わり者の私がひとまず「あるべき場所に落ち着いた」ということなのでしょう。
けれども、どことなく一つ所に留まるのが退屈に思う私は、きっとどこかに行くのだろうという予感があります。
未来の私は、どこかに自分の居場所を見つけるのでしょうか。
それとも、留まることを知らずあちこち動き回っているのでしょうか。
どちらにしろ、私は渡り鳥などという優雅な存在にはなれないし、綿毛のように希望がありったけ詰まった存在にもなれません。
私には根無し草が精々ですし、それが身の丈に合っていてちょうどいいとすら思っています。
派手なことは特に望みません。私が私らしく生きていけるなら、それで幸せです。
以上、長い長い自己紹介でした。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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