私は生きづらさを抱えている。その中の一つに、「自分を犠牲にして誰かのために行動する」ということが身に染み付いてしまっている。
自己分析であるが、その原因は育った環境と家族にあると私は結論付けている。ああしたほうがいいとか、こうしたらいいんじゃないのという両親の言葉に従って生きてきた結果、自分を殺して他人が気に入るように、あるいは機嫌を損ねないように動くようになったのだと思う。
最近は誰かの言うことを聞くのが嫌である。アドバイスを頂けるのはありがたいことなのだが、それ以上に「私のやることに口出しするな!お前の考えなんて聞いていない!押し付けるな!」ということを強く思ってしまうことがある。
これは、今まで自分が主に両親の言いなりになって生きていたことの反動だと思っている。強く押さえつけられていたバネが、勢いよく跳ね返るのと同じことだ。
だけれども、誰かにアドバイスをされることで「自分が歪められてしまう」と感じてしまうがゆえに、どうすればいいか迷っているときに誰にも頼れない。より正確に言うなら、頼りたくないというところだ。
そんな、自分を殺して生きてきた私の「生きづらさ」の話をしてみよう。
両親と私
母
私は小学4年から中学3年まで、塾に通って勉強をしていた。自分で行きたいと進言したわけではない。いつの間にやら通うことが決められていたと思う。
勉強ができても、特にそこまで褒められることは無かった。ただ、あまり成績が良くないときは「何でこんな成績なの」「もっと勉強しなさい」など、あれこれと言われた。
私はそう言われるのが嫌だったから、勉強をした。自分ためではなく、親のために勉強していたようなものだった。
父
我が家ではまさしく大黒柱ともいうべき存在だ。父が働いているからこそ、私を含めた家族が食べていけているという事実があることは承知している。
しかし、どうしても度し難いことがあった。
態度がどうも威圧的なこと、自分の考えが正しいと思ってそれを押し付けてくること、否定すると不機嫌になったり怒り出すこと、私の話を毎度否定で返してくること…。
特に、父の話を否定したり意見したりすると大体は不機嫌になったり怒り出したりするものだから、私はそういうことがとにかく嫌でたまらなかった。だから、常に父の様子を窺ってはとにかく機嫌を損ねまいと、自分を押し殺して振る舞う生き方を身に着けたのだった。
さらに、これまで生きていた中で聞いた発言を総合して考えるに、父はいわゆる「老害」の類に属するのではという予想をしている。自営業者なので大っぴらに問題になっているわけではないが、恐らく会社にいたら、特に若い世代から老害的な扱いを受けそうだなと思う。
そうした両親のもとで育ったがゆえに、今の私に生きづらさが生じているように思える。
大学時代
大学に行く意味なんて特に深く考えることもなかった。周りがみんな大学に行くから、自分もそれに合わせて大学進学を決めたようなものだった。それに、大学を出ないと良い就職先なんて無いぞと親に散々言われてきたことも影響していた。
自分のために進学したというより、周りに流されて進学しただけだった。
だた、完全に大学進学が無駄だったかというと、全然そうではない。むしろ大学に行ったことで様々なものが見えたし、サークルを通じて自分が夢中になれるものを見つけることができた。
ある意味では、誰にも従うことなく自分を一番解放させていた時期だったのではないかとすら思えるくらいに、充実していた気がする。
学業
大学で何を専攻したかというと、私は法律だった。こういうと、「どうして弁護士などの法律に携わる仕事を選ばなかったの?もったいない。」と言ってくる人がいるが、誰もが弁護士などになるために法律を勉強しているわけではない。
かくいう私は、将来なんて何も考えずに学部を決めたようなものだった。むしろ興味関心でいうなら文学部あたりのほうが合っていたかもしれないとも思う。事実、とあるゲームの影響で日本の妖怪や伝承、神話などに興味を持ったクチだった。
しかし、法律を専攻したことに後悔はしていない。論理的思考方法というか、相手を納得させる理屈付けの方法だったり、証拠の重要性だったりということを自分なりに学んだ。学生だった当時はそんなことを全く意識などしていなかったが、学んだそれらのことが図らずも今現在で活かされることもあった。
サークル活動
私が大学で所属したのは、アニメーション研究会だ。研究会と銘打ってはいるが、その実態はアニメーション制作サークルであった。
そのため、「え!作るんですか!?アニメを鑑賞するサークルだと思っていたのですが」という新入生を見るのが4月の風物詩のようなものだった。
結構本気で制作して活動するサークルで、普段から作業をしない人間は散々な扱いをされるゆえ、やる気がない人や顔を出さない人は自然に消えていった。私が入ったときに会長をしていた先輩曰く「作業をしない奴はここでは人権なんてないから」とのことだった。
私はというと、しっかり作業をこなして制作に参加していたので、サークルでの人権は保障された部類の人間であった。かなりサークルに入り浸っていたが、悪い顔なんてされなかったのがその証拠だと思っている。
サークルでは本当に好き勝手やっていた。他人に迷惑をかけまくったという意味ではない。嘘偽りのない自分をそのまま出したという意味だ。素の自分が否定されない環境で非常に心地よく、気が付けばサークルが完全に私の居場所になった。大学の空きコマはサークルで過ごすことが常になるのもそう長くはかからなかった。
幸福な出会いだった。幸せな時間だった。私という存在が認められたような、そんな温かさを感じたのだった。
就職活動
楽しい時間は過ぎ去ってしまう。どんなに嫌でもその時期はやってきてしまう。
就職活動だ。
とにかく私は就活が嫌でたまらなかった。大嫌いだった。
面接はお見合いだなんて言われるたけれど、そんな風に捉えることなんてできなかった。「自分」なんてなかった私は、何もアピールできるものなどなかったし、いかにその会社に気に入られるかということだけしか考えられなかった。
私の考えを否定され、そこに面接官の考えを上乗せされたこともあった。そのときは完全に自分の存在を否定されたようにしか感じられなかった。「私はいらない人間なんだ」「どこからも必要とされないんだ」と、自己肯定感皆無の私は病んでいた心をさらに病ませた。
生きているのが嫌だった。この存在が消えてなくなればいいのにと何度願ったことだろうか。
退職後
就職は一応できたものの、そこでも自分をないがしろにして仕事をした結果、死にたくなった。そこからどう生きたいかということを考えて、仕事は退職した。
退職することは家族には何も言っていなかったため、特に父から色々と言われる羽目になった。時間がある程度経過した今現在では、時々仕事とお金の話をされることがある。そのたびに、自分という存在を歪めようとしてきているのではと感じてしまう。
両親は私の幸せなんて考えていなくて、言うとおり・思い通りに私を動かしたいだけなのだと、そう思うようになった。だから私は両親の言うことなんて聞かない・聞きたくないという生き方になっている。
最近は両親だけに飽き足らず、とにかく誰の言うことを聞かない姿勢になってしまったように思う。何か指摘をされると、私が否定されて歪められるような、そんな気がしてしまう。これでは貴重なアドバイスを不意にしてしまうだけでなく、人も離れてしまうのだろう。
けれども、私にはどうすればいいのかわからない。この生き方で本当にいいのか、他にもっとうまい生き方があるのではないか、そうした疑念が絶えない。
自分の生き方で発生した生きづらさを抱えつつ、今後も私は生きていくのだと思うと息が詰まる思いに駆られる。