投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

「好きなこと」を仕事にしようと思ったけど、そこが地獄すぎて無理だった。

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「好きなこと」を仕事にして暮らしたいと、あなたは思ったことがあるだろうか?

 

「好きなことを仕事にするべきか否か」ということはたびたび議論の話題になるものだ。

そのことの是非はさておくとして、ここでは「好きなこと」を仕事にして生きていこうとしたけれども、そこに恐ろしいものを感じ取って逃げだした、一人の人間の話をしてみたい。

 

 

 

 

就活なんてしたくなかった

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元々就活に対して、私は後ろ向きであった。どういう仕事をしたい、どういう社会人になりたいとか、将来どうしたい(どうなりたい)といったビジョンも何もなかった。そもそもそんなことを考えられなかった。

 

私にとっては「就職して仕事をする」ということが、何もかもを諦めて生きるためのお金を稼ぐためにやることだとしか思えなかった。

「そんな人生に何の意味があるというのか?そんなことで生きていて楽しいのか?」と、とにかく疑問でしかなかった。

 

好きなこと・やりたいことを我慢して身を削って、ただ糧を得るために仕事をする。その生き方が私は嫌だった。

 

 

作品をつくるのが好きだった

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そんな私の生きがいというと、大学のサークルでアニメを制作していたことくらいだった。それに付随したサブカルチャー関係もある意味では生きがいとなっていた(そういうことをとある場の自己紹介で話したらやべー奴と言われたが)。

 

アニメは高校生くらいの頃から本格的に見始めて好きになった。アニメ制作、ひいては作品作りが好きになったのはそれの延長線上とも受け取れる。

 

サークルでの制作は、時に締め切り目前のデスマーチで地獄を見たり、仕様変更や没などでひいこら言いながら作業したり、人間関係でギスギスしたりと、大変なことが多かった。ただ、そこをひっくるめて楽しかったりもしたものだった(雰囲気ギスギスは勘弁してほしかったが)。

 

そういうことで、アニメが好き・作品を作ることが好きというわけで、そういう仕事をしたら自分の生き方が出来るのではと思って、その方面での就職を考えたわけであった。

 

結論から言うと、その生き方は私にはとてもできたものではなかった。

 

 

アニメ業界にいる人の話を聞いた

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就職活動を目前に控えた2月下旬から、私はあらゆることに参ってしまい心を壊した。

 

先に述べた通り就活なんてしたくなかったのもそうだし、両親に言われるがままに就職して生きていくということが、まるで自分の人生を歩くことを許されていない感じがしてたまらなく嫌だった。

 

そんな中、折しも祖母の近所にアニメーターをしている人がいるということで、その人から話を聞く機会があった。そういう会社の説明会で話を聞くよりも、実際にその仕事をしている人の話が聞けたという点で、貴重な体験だった。

 

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しかしその人の話を聞いて抱いた感想は「自分には無理だ」だった。

 

リアルなお金の話を聞いて、間違いなくそれだけで生活できないことを悟った。以前からネットメディアなどでアニメーターの惨状については知っていた。実際話を聞いた限りだと、長時間働いた挙句に生活できるお金を稼げないという、とんでもない世界だった。

両親の仕送りが無ければ生きていけないという話も聞いたことがあった。仕事とは両親から離れて自立するためにするのではないのか?と、何か矛盾しているような感じを抱いた。

 

話してくれた方も、稼げないうちはバイトで貯めた貯金を切り崩す生活をしたそうだった。当時の私にはそんな貯蓄もなかったし、両親からの援助などというのもあてにできなかった(正確にはしたくなかった)。

 

そうした状況や話を総合して、ここで一度「好き」を諦めた。

 

 

撮影会社に行ってヤバいものを感じ取った

再び見てしまった夢

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愚かなことに、時間が経って再び「好き」を仕事にしたいという思いが再燃した。

 

未経験でアニメ関係の制作の仕事といったら、どこもかしこも制作進行くらいしか見当たらなかった。しかしそこは未経験でも撮影((簡単に説明すると、原画や動画といった素材を組み合わせて、映像という完成品に組み上げる仕事またはそのセクションを差す。として受け入れてくれる(ただし形態は業務委託)ということで、私はすぐに応募して飛び乗った。誰にも相談することなく、一人で決めた。

 

規模としては、だいたい10人と少しくらいの小さな会社だった。会社というと何やら立派なものを想像するかもしれないが、実際はアパートくらいの建物の2階と3階を借りて会社としているという感じのものだった。

 

後日面接へ。面接といっても、そう呼べるほどかっちりしたものでもなかった。色々と話したあとに、作業現場を見て解散した。そこからまた時間が経って、いよいよ研修開始という運びとなった。

 

そして私を待ち受けていたのは、地獄だった。

 

 

たった2日で折れた研修

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研修ということで与えられたお題というか、練習問題ということで撮影に必要なことを習得する内容になっていた。当然指導をしてくれる人がいるわけだが、その人もアニメの編集作業をやっている片手間でこちらの教育をするという様子だった。

 

そのため、声をかけるとその手を止めてしまって作業を遅らせてしまうと思ったこと、作業環境があまりにも静かだったため声を発すると迷惑になってしまうのではと思ったこと、そして私があまりにも人にものを尋ねられない性格をしていたというバッドトリプルクロスが発生したおかげで、とにかく生きた心地がしなかったというか、私はその場にいてはいけない存在のようにも思えた。

 

研修というものは、最初にどうやるかのお手本を見せられるものだとばっかり思っていたので、何をどうすればいいのかもわからずパニックだった。一応は作業の手順を示したようなものがあったが、読んでもさっぱりわからなかった部分が多かった。そして、わからないことを聞くことも出来ずに更にパニックになるという始末だった。

 

聞いたことをメモすればいいということなのだろうが、メモをもってきていなかったり、そもそも聞いたことが頭に入らなくてメモの取りようがなかったのと、視線が気になりすぎて話しているときにメモを取ることが当時怖すぎてできなかった。

 

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出社して他の人を観察していると、昼食などで休憩したり外に出たりする様子を全然見かけなかった。みんなずっと休みなく黙々と撮影作業をしているといった印象で、とにかく恐ろしいものを感じ取った。

 

加えて、私は出社は11時くらいにしていたのだが、夜の9時10時を過ぎても帰る人は1人いるかいないかといったものだった。私よりも早く出社している人も平気でずっと作業していたので、怖かった。そこにいた人たちがどういう生活をしているのかが窺い知れないし、そんな生活になったら生きていけないと私は思った。

 

進まぬ研修、何もできないし何も技術がない自分、押しつぶされそうになる心、それを明日も繰り返し味わうことになるのかと思うとすごく憂鬱になって、涙を流しながら帰った。帰宅して研修辞退のメールを会社の人に送った。遅い時間だったのと、これ以外の手段が思い浮かばなかった。翌日、受領のメールが届いて私は解放された。

 

研修をたったの2日で辞めた人間に成り果てた私は、自分にはもう何もできない、何もなくて空っぽなんだと完全に自信を喪失した。

 

 

その後

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色々と諦めて、私は「普通の道」へ行くことにした。紆余曲折がありながらも就活を続けて、11月も終わろうとしていた頃に内定をもらって、そこに入社することに決めた。

 

これでいいんだ。もう趣味の範囲で好きなことをやればいい。それで十分じゃないか。

 

私はそう考えた。しかし、その気力さえも奪われていく仕事の日々に身も心もボロボロになっていく未来を、私はまだ知らなかった・・・。

 

おしまい。