どうも皆さま。ヒトヒラです。
毎年11月の頭に出身大学で文化祭が開催されていまして、私の所属していたサークルもそこで毎年発表を行っているので、見に行くことにしました。
それと、折しもサークルメンバーで集まろうという話も同期から持ち掛けられていましたので、久しぶりに先輩方などと顔を合わせることにしました。
実際に顔を合わせて久しぶりに会えたのはもちろん良かったですし、嬉しかったです。
けれども、どことなく輪の中に入りきれない私がいまして、結果的には寂しさのようなものを募らせてしまった感じもありました。
今回はそんな私の、暗くて自虐的なお話です。
期待と不安交じりの、同期からの連絡
元々文化祭は私一人で見に行こうかなと思っていました。
そもそも、私は集団行動するよりも単独行動するほうが圧倒的に好きです。
集団だと周りと歩調を合わせなくてはいけないので、それが性に合わないというか、遅いと一人でさっさと行きたくなるというか、気を遣わないといけないからそれが疲れるというわけです。
それに、私は仕事で色々と疲れ果てて精神的にきついものがありましたから、どういう顔をしてサークルメンバーに会えばいいのか、そもそもダークサイドにいる人間が行っても暗さが伝播するかもしれないと考えたりもしました。
知っている人と面と向かって会うのが、怖かったのです。
それでも、久しぶりに会いたいという気持ちが勝ったので、会うことにしました。
ここで会わなかったら、会いたいと思ってもしばらくはその機会がないということはもちろん分かっていました。皆社会人であるゆえ、時間を合わせることが難しいのですから。
何よりも、ここで会わなかったら二度と会えなくなる気がして、そのほうがずっと怖かったのです。
いつ以来かの再会の中で
昼過ぎ頃、大学へと到着した私が一番にやったことといえば、持参した昼食を食べたことでした。
大学の文化祭ですので、当然のことながら食べ物の出店はされています。
けれども、そういう気分にはならないことは、これまでの学生生活から分かりきっていたことなので、別にみじめとかそういう気はしませんでした。
結局のところは、グループに合流してしまうと食べるタイミングを見出せずに失ってしまうからそうしたかったというわけです。
食べ終わってから、サークルの発表を見に行こうかなと思った矢先に、先輩と遭遇しました。
すぐに私と認識されまして、行動を共にすることになりました。
別の先輩と合流して、適当に集まれそうな場所へ移動して、そこで雑談して時間を潰していたという感じです。
夜からメンバーで飲み会をする予定でしたので、その時間までは暇になってしまうから、その暇つぶしのようなものです。
私は、話を振られない限りは終始聞き役に徹していました。
やっぱり、自分の話を自分の口で、声を出して語るのがどうにもできなかったのです。
自分が話下手であることは元から自覚していました。
そこに退職と生活環境に由来するデバフがかかっているおかげで、このバッドステータスっぷりに拍車がかかっていたと思います。
本当はたくさん、色々と話したかったはずなのに、それができませんでした。
時間が経つにつれ、後からやってきたメンバーが合流して人数が増えていきました。
話すグループが内部でできていくにつれ、私の孤独感が増していくようでした。
正直、私はいなくてもいいんじゃないかとも思えて、飲み会なんてどうでもよくなるくらいには、帰りたくなりました。
絵を描いて気を落ち着かせるにも、誰かが近くにいる、特に知った人がいると全然集中できなくて、どうしようもなくなりました。
結局、落ち着けない重圧感のもとで、時間が過ぎ去るのを待つしかできませんでした。
あの時の私は相当に闇を抱えていたと思います。
ある先輩から「なんか時々生存確認をしたくなる」と言われたくらいですから、傍から見ても闇タラタラだったのかもしれません。
何だかんだあって、サークルの発表は結局見ませんでした。
サークルスペースで落書きしていたら、いつの間にか撤収作業が終わっていました。
まあ、来年も行けば見ることはできますので別に構いはしませんが。
ある意味の主目的、飲み会の場の中で
飲み会でも、自分から何かを話すこともありませんでした。むしろ注文以外で声を発したのは、片手で数えられるくらいしかなかったと思います。
酒が入って会話が弾んでいて、楽しそうなサークルメンバーたち…
周りの他の客たちの、盛り上がっている声…
この場になじめずに、ただ存在するだけの自分…
本当に、虚無でした。
楽しそうな笑い声が、うるさいノイズに変換されて私の耳に入っていくのを感じました。
この場にいる自分が、ひどく場違いな存在であるということを突き付けられているようでした。
私はただただ、酒を楽しんでいるふりをして、それを誤魔化すほかありませんでした。
ここまで来ると、そこまでして飲み会に行かなくても良かったのではと思われるかもしれません。
確かに、最初は金銭的理由から参加を断ろうとしました。
しかし、誤解なきよう注釈をしておきますと、決してこの飲み会に参加するのが嫌だったわけではありません。
職場での飲み会よりも断然に居心地は良かったですし、メンバーの会話に耳を傾けるだけでも私は楽しかったです。
大学生のときと比べたら結構ダーティーになった先輩の話、公務員として働いている先輩の話などは聞いていて面白かったですから。
解散後、一人で街を歩く中で
飲み会がお開きとなった後、私は一人街を歩きました。
元々金銭的理由から参加を渋ったのですから、二次会などに参加しなくても不思議には思われなかったでしょう。
話したいことを全然話せなかったなと、一人脳内反省会(というよりは断罪会)をしていました。
自分がみじめに思えて、悲しくて泣きそうになりました。
構ってほしかった?
話を聞き出してほしかった?
話し相手がいなくて嫉妬していた?
それなのに、話しても無駄だと諦めていたのに何をいまさら後悔しているのか。
考えても考えても、最後には自分を断罪するための言葉しか出てきませんでした。
そうして、眠れぬ夜を過ごしたのでした。
一晩明けた中で
時間が経ってから、昨日の自分のことを考えてみました。そうして、あることに思い当たりました。
私は不幸であり続けたいのだろうと。不幸な自分がかわいいのだろうと。
だから何かと隙を見つけては自分を不幸に陥れて、それで可哀そうな自分を演じていたいだけなのだろうと。
そうならないために自分を変えたかったはずなのに、いつから不幸に身を沈めるのを望むようになったのだろうと思いました。
ああ全く、こんなのでは来年も同じことになってしまう。でもそれは嫌だ。
来年は、今までのことを笑い話にして、思い切り話したい。
そうだ、来年も生きてまた会うんだ。
「来年も生きる」。そういう目標ができただけでも、行って良かったと、私は思うのでした。
↓にほんブログ村に参加しています↓