投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

中学の野球部はクソみたいな社会の縮図だったと、今では思う。

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私はリアルでは公言していないが、中学時代に野球をしていたことがある。といっても、たった一年と少し程度のものなので、がっつりと打ち込んだというわけでもない。

むしろ、逃げたと言ってもいいのかもしれない。

 

今でも心がつらくなったときは、そんな黒い青春時代の思い出がふとした瞬間に現出してきて、それでさらに心が痛みでうずくことが何度もある。しかしそのつらさを思い返してみると、野球部はクソみたいな社会の縮図だったのだなと、私は思うのだった。

 

 

 

守る意味があるのか分からないことばかり重視される

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野球といったら一番理解不能なのが、問答無用で頭髪を坊主にしなければならないことだ。一体何の意味があって、髪型を坊主に統一しなければならないのか。逆になぜ伸ばしていてはダメなのか。その合理的な理由が見当たらない。

「野球をする少年は、すべからく坊主にしなければならない」という暗黙の了解でもあるのだろうか。謎である。あと、坊主にしていないと「何でお前だけ坊主にしないんだよ」「みんな坊主にするのが当たり前だからお前も坊主にしろ」というような同調圧力も感じられた。この「みんなやってるんだからお前もやれ」と、嫌なことを押し付けられて、やりたくなくても我慢してやらなければならないところが、現代日本の社会の縮図そのものだなあという感想である。

 

声を出さない、声が小さいということでも、「やる気あるのか!」と怒られる始末だ。どうして「声を出さない」ことが、「やる気がない」ということにつながるのだろうか。私には理解不能である。むしろ、黙って物事をできないのかと。バカみたいに騒いでいないと何もできないのかと。アホくさいにもほどがある。

 

それと、先輩には絶対に敬語を使わないといけないというのが、私としてはとても面倒だった。私の同級生が「何で先輩って、一年早く生まれただけでそんなに偉いの?」と言っていたのを思い出す。悪気があったのかどうかは知れない。ただ、今振り返ればこれは世の理不尽を突いているようにも感じられる。

「年上だから」という理由だけで、人間の屑みたいなジジババ、おっさんおばさんを敬えというのは、ちゃんちゃらおかしいのだ。尊敬に値すると思ったらそうするし、値しないのだったら適当にあしらう。それが当然のことではないだろうか。無条件で年上の人間を敬わなければならない——もしもそれがとんでもなく害悪的であったとしても——という風潮が広がっているこの社会を思うと、野球部とはつくづく、社会の汚点を煮詰めて凝縮した肥溜めである。

 

 

何かに付けて怒る顧問

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顧問をしていた先生は、授業のときはもの凄く緩いのだが、部活となった途端えらく厳しくなるものだった。正直当時も今も、どうしてそうなるのかよく理解できなかった。

 

練習も試合も、なんだかもの凄く口を出してくる人だった。その人曰く、自分が顧問になる前は、野球部はやる気がなくだらだらしていて、後片付けもろくにしない部活だったらしい。ぶっちゃけそんな事情は知らんし、だから何だと思った。

そんな野球部を変えた自分がこの部活で一番偉いとでも思っていたのだろうか。だから言うことを聞かないと、あるいは自分が思うとおりに動かないとなると、イライラして怒るのだろうか。そろそろ物事の善悪がつくかつかないかという中学のガキんちょを、そうして従順にさせて支配欲を満たすのはさぞかし気持ちがよかったことだろう。

 

その様子を振り返ると、褒めないで怒ってばかりだったような気がする。怒鳴ることも当然にあった。そうでなくても、注意か何かを嫌見たらしく言ってた記憶もある。これでは子どもの自己肯定感が高まるなんてあり得ないし、むしろ一方的に下げるだけだろうと思う。

 

まさしく、自分の思う通りに部下が動かないと、途端に不機嫌になって当たり散らしてきたり、理不尽に怒ってこちらを恐怖で支配してくる日本のクソ上司やクソ上層部そのものであったように今なら感じられる。

 

 

体調が悪くても、我慢して来いというクソ

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一つ上の先輩が出る最後の公式試合が終わった後日、今後に向けたミーティングのようなものがあった。そこの場で、公式試合に行かなかった部員は、同学年の集まりの中で起立させられ、晒し物にされた。

 

私はその頃、部活に行くのが嫌になっていて、腹痛を理由にして休んだことがしばしばあった。ぶっちゃけ、仮病やサボりの類である。そういうことで、先輩が引退する公式試合も行かなかったわけだ。だから、私も漏れなく全体の前で晒し上げられた挙句、そのまま顧問からきつく怒鳴られるという公開説教をされた。

 

「少し体調が悪かっただけで来れないのか!!」「〇〇(2つ上の代の先輩の名前)は高熱を出してたときでも、氷水で頭冷やしながら来てたんだぞ!!」と、えらい剣幕だった

今なら私ははっきり言える。「ゴミクソカス〇ね」「そういう押しつけの根性論嫌い」と。

 

体調が悪くてもこうやって妙に頑張ってしまう人間がいるせいでそれを基準にされるし、挙句の果てには誰しもがそうするのが当然だと見なされてしまうのだ。はっきり言ってあまりにも理不尽であるし、迷惑そのものである。

だから、自分に何かあってつらいときは、他の人のためにも本当に頑張らないでほしい。むしろ頑張られたら迷惑ですらある。「自分はこれくらい平気」というその感覚が集団で基準にされたら、それについていけない人間は心を虐げられてしまうのであるから。もしそうなったら、私は無理して頑張ってくれやがった人間を間違いなく恨むだろう。

 

 

野球により、青春は死んだ

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私は中学1年から2年の春くらいまで、野球部に所属していた。

思い返せば、毎日が練習ばかりであった。土日や祝日も学校で練習か、よその中学に行って練習試合とか、あるいは公式の大会があったりとかで、休んだ全然記憶がない。毎日が野球だった気がする。しかし私は野球など好きではなかった。むしろ当時はゲームをして遊んでいるほうが好きだったくらいだ。

 

私は結局部活についていけなくなって、部活に行くのが嫌になって、学校に行くのが嫌になった。そうして若干、不登校の域に入った。「お腹が痛い」ということで、何日か連続して学校を休んだ。休んで何をしていたかというと、ゲームをしていた。当時は「GOD EATER」にハマっていたので、布団に寝転がってずっとそれをやっていた。そんなことをしていたら担任や顧問から心配されて、何なら顧問が自宅にやってきた。私は顔を合わせようとなどとはつゆほども思わなかったので、面会は謝絶したが。それからなんやかんやありつつ、最終的に部活は退部した。こうして私の青春は黒く塗りつぶされたのだった。

 

「そんな思いするなら野球部に入らなきゃよかったのに」と言われれば、「文化部に入ると同級からいじられそうな気がしたし、そういうのが嫌だったから」と私は返すだろう。すでに小学生の時に散々いじられてきたから、中学になって、そういうのにもう一度耐えられる自信がなかった。そんなことになったらもっとひどく心が病んで、それこそガチガチの不登校になっていたかもしれない。あるいは失踪とか自傷とかしていたかもしれない。

 

「たられば」の話なので、今となってはそこから分岐した果てを考えても無意味である。ただ、中学時代にそうしてクソの現実の縮図を味わい、青春が黒く塗りつぶされたことで、今の擦れてひねくれものとなった私がいることは確かである。その境遇を恨む恨まないという話ではないものの、こうして自らの青春を振り返ったときには、幾度となく寂寞とした感情が込み上げてくるようであった。