こんにちは。こんばんは。おはようございます。もしくは初めまして。
皆さんは、一度でもいいから「死にたい」と思ったことはありますか?
私はあります。それも一度だけじゃなく、二度三度、いやもっとあったようにも思います。
ただ、一日中ずっと「死にたい」と思っているほど重症ではありませんが、つらいことがあったり、自分のことを考えたり、これからのことを考えたりすると、ふとした瞬間に「死にたい」という思いに駆られるわけですね。
一旦、「死にたい」の感情が湧き上がってくると、もう何もかも放り出して死んでしまったほうが楽になれると、そう信じてしまうのですよ。
冷静になって考えれば、楽になるための「死ぬ」というプロセスの中では、どんな手段をもってしても絶対に苦しまなければならないわけで、楽に死ねる方法なんてありはしないのですが。
さて、今ここを覗かれている方は、今どんな思いでいらっしゃるのでしょうか。
死にたくて、楽になりたくて仕方がないのでしょうか。
あるいは、身近な人や大事な人が苦しんでいて、どうすればいいかわからなくて、情報を求めてここへいらっしゃったのでしょうか。
もしも、ここに書き記したことで、今にも無くなってしまいそうな命を救うことができたなら、これ以上嬉しいことはありません。
- 人はどうして死んだら楽になれると思っているのか?
- 死んだら本当に楽になれるの?楽に死ねる方法は?
- 死にたいはきっと、今の自分を変えたいという願い。
- もしも周りの身近な人、大事な人が死にたい思いを抱えて苦しんでいたら。
人はどうして死んだら楽になれると思っているのか?
「死にたい」と思うときって、ほとんどの場合、自分ではどうしようもない状況に陥って、誰にも助けを求められなくて、苦しくて苦しくて仕方ないときだと思います。
その苦しみから解放されて楽になりたくて、「死」という手段をとろういうわけですね。
死んだら楽になれるという考えは、極楽浄土や、輪廻転生といった概念、言葉があることからも察することができます。
つらく苦しい現世を離れたら、あの世ではきっと素晴らしい楽園が待っているに違いない、だから死んでこの世から離れて、あの世で幸せになるのだというのでしょう。平安時代のお偉い誰かさんだってそう思っていたわけです。だから平等院鳳凰堂なんて建築物をつくって、極楽浄土を再現しようとしたわけです。この世がだめなら、あの世で幸せになれるでしょ、ということでしょう。
それで、一度死んで、苦しい現実から離れて、生まれ変わって、新しい自分になってまたこの世で生きて、今度こそ後悔のない人生を歩いていきたいのだと、きっとそう願うのでしょう。いわゆる「ニューゲーム」ってわけですね。
他にも探せば色々な考え方、捉え方があるでしょう。「死んだら楽になれる」という考えは、人の歴史の中で紡がれてきて、現代にいたっても連綿と受け継がれていて、もはや遺伝子レベルにまで刻まれているのではないかと思います。
昔の人だって死んで楽になりたいと思うことがあったんです。ましてや現代に生きる我々が死んで楽になりたいと思わないはずがないのです。
つまり、死んで楽になりたいと思うことは自然なことです。何もおかしいことはありません。
死んだら本当に楽になれるの?楽に死ねる方法は?
さて現実的なお話です。
実際に死ぬとします。いわゆる自殺というやつです。
手段は色々です。首吊り、入水、飛び降り、その他諸々…
当然、死ぬときは苦しみたくはないですよね。できることなら、眠るように、穏やかに楽に死にたいですよね。
けれども、ここでは残酷な現実をあえて突き付けさせていただきます。
そんな手段はありません。一つたりとも。
ここでは、それぞれの自殺方法の詳しい説明はしません。もし知りたいのであれば、他の詳しく書いてあるサイトをご自身で探してください。
それか完全自殺マニュアルでもご購入して読んでください。
あ、一応言っておきますが、私は別に自殺を推奨するつもりも否定するつもりもありません。
冷たい表現になりますが、自殺したいならどうぞご勝手に、自殺をやめるならあっそ、という感じです。そもそも私が他人の決定に介入する権利なんて持ち合わせてないのですがね。
注意!ここから先は私の経験とか考えとかが入り混じっています。
多分に主観や偏見が含まれるので、どうでもいいという方は読み飛ばしてもらって全然構わないです。
死にたいはきっと、今の自分を変えたいという願い。
さて、私も時たま死にたいと思うことがありますし、過去にも何度も死にたいと思いました。
死にたいと思うたびに、同時にこんな思いも湧いてきました。
「死ぬのであれば、せめて自分がやりたかったことを存分にやって、夢を叶えてから死にたい」と。
今現在、私は文字通り死ぬほど苦しかった新卒の就職活動を終えて、社会人1年生として会社で働きましたが、本当にやりたいことを抑えて、お金のため、生活のため、家族のため、世間体のため、自分を騙して働いているという感じでした。
仕事は、職業柄長時間の拘束を余儀なくされました。
動き回る仕事なので体力的にも疲弊して帰るころにはへとへとで、帰ってからも疲れで何もする気が起きず、寝て食事してお風呂に入って明日に備えて寝るという生活に気が付いたらなっていました。
好きでもない仕事のために、自分の人生の時間をどうしてこんなにも捧げなくてはいけないのかと考えると、とても嫌で鬱屈とした気持ちになり、死にたくなりました。
そして死にたくなるたびに、私の心の奥底に眠る願望が呼び覚まされました。
少々、自分のことを語ります。
私が本当にやりたいこと。
それは、人の心を動かす絵(イラスト)を描くこと、アニメーションをつくること、です。
それと、旅をして色んな景色を自分の目で見て、空気を肌で感じとって、私の作品に落とし込むことです。
私は欲張りなので、やりたいことを全部、絶対にやりたいと思っています。
ですが、不満にまみれた現状を変えないと、この夢は実現することができませんし、死んでしまったら絶対にできなくなってしまいます。
だから、生きているうちに自分を変えて、やりたいことを実現させる、というわけです。
完全に経験則ですが、何か一つでも、どんなに小さくても、夢ややりたいこと、実現したいことがあると、それに向かって、変わってやろう、現状をどうにかしようと頑張れます。
もしも周りの身近な人、大事な人が死にたい思いを抱えて苦しんでいたら。
まずは話を聞いてあげてください。そのときに大事なのが、その人の思いをそのまま受け止めてあげること、認めてあげることです。
変に励ましたり、自分の意見を言うのはだめです。やってはいけません。
とても元気が出ないときに「元気出して!」とか言われても、言われた方は「元気が出ないからこんなになってんだろふざけんなよ察しろよ」ってなります。口では言わなくても心ではそうなります。
また、苦しんでいる人のことを思って、自分の意見なりアドバイスなりを言っても、言われた側は「自分の思いを否定された。理解してもらえなかった。自分の話なんて聞いてくれてなかったんだ。」となって、心を閉ざして、距離を置いてしまいます。
はっきり言ってありがた迷惑なんてものではありません。普通に迷惑です。
話を聞いてくれる誰かがいると、苦しんでいる側にとってはもの凄く精神的に楽になれますし、何よりも一人じゃないと認識できますから。
もとが真面目で優しい人ほど、他人に迷惑をかけられない、かけたくないという思いが働いて、誰かに話すことができずに一人でずっと苦しんでしまいます。
ずっと一人でいると、世界でただ一人孤立したような孤独感に襲われて、ますます苦しくなってしまってついに耐え切れなくなり、最悪の結末を迎えてしまう…なんてこともありえます。
苦しんでいる人を支えたいと思うのであれば、まず第一に苦しんでいる人の心を救ってあげて欲しいと、心からそう思います。