人は何ゆえに生きていくのだろうか?生きていかなければならないのだろうか?
その答えを探しては見つからなくて、生きる意味を感じられなくて、生きる気力を失う。
生きること、働くこと。それが限界で疲れ果てたときでさえも、またいずれやらねばならぬことを思い起させるようで、それが酷く陰鬱な感情を抱えさせる。
何のために生きる?
この命は何のためにあるのだろうか、誰のための命なのだろうかとふと考えることがある。生きるとは何だろうか。
死なないために食事を摂って、寝て起きて、また食事を摂って、寝る。
そんな生活に意味はあるのか?何も生みだしてなどいないばかりか、どんどん消費するだけの存在に成り果てていることに、価値があるのだろうか?それは生きながらにして死んでいるのと同じことではないだろうか。
穀潰しになるために生きている?それでも食事はおいしいものだから、なお罪深い。
何のために働く?
子どもの頃は、大人になったら自由があると信じていた。その夢想は労働という残酷な現実のもとで、切なく潰されてしまった。
人とは一体、何のために働くのか。生活のため?金のため?
生きるために働くのやら、働くために生きているのやら、もうわけが分からない。そんなことで生きている意味はあるのか?仕事で終わる人生なんて、仕事を取り除けば空っぽになる。
苦しんで働くことがそんなに美しいか。それで命を捨て去ってもそんなことが言えるのか。労働ゾンビになって死んだように生きるくらいなら、人間であるうちに自ら死ぬほうがましだとも思う。
これはもしかしなくても、ただ働きたくないだけの甘えなのだろうか。自分だけ楽をしていたいという怠け者根性が現れているに過ぎないのだろうか。
いつか「甘ったれるな」と社会に引っ張り出されるときがやってくるのだろうか…。想像しただけで生きていたくなくなる。
生きていたくない人生から抜け出させてくれないこの世界
労働で身も心も削りに削る人生なんてまっぴらごめんだ。そんな人生を生きていたいとはとても思えないし、思いたくもない。
もう勘弁してほしくてたまらない。死でもって、生きるという地獄から抜けさせてはくれないものだろうか。どうしてそれが許されないのか。そんな世界が息苦しくて仕方がない。何と偏狭な世界なのだろうか。
お願いだから、もう許してほしい。どうかこの命を、終わらせてほしい。
救いのない世界で、今日も明日も自らの生に絶望しながら時間を過ごすのだろうと考えると、気が遠くなって滅入るばかりだ。