投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

ここ数年、私がめっきりゲームをやらなくなった要因について。

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どうも皆さま。ヒトヒラです。

 

ポケモンの最新作であるソード・シールドが発売されると聞いても、私はまるで興味がありませんでした。私はここ数年でほとんどゲームをやらなくなってしまったのです。

 

そこで、どうして私がゲームをやらなくなったかについての要因を考えました。

 

 

 

要因その一:ゲーム機本体に手が出ない

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ゲームソフトだけあっても、プレイするための本体が無ければゲームで遊べないのは当然ですね。ゲーム機本体はそこそこのお値段がかかりますから、金なし貧乏人の私はあまり手を出そうという気になれないことが多いです。

 

また、私の部屋が狭くて置く場所やしまう場所が少なくて困るというのも大きいです。

 

携帯ゲーム機ならいざ知らず、据え置き型のゲーム機だと、部屋にテレビやモニターが無いのでそれも同時に購入しなければならないというのが非常に面倒だしお金がかかるしスペースも取られるしで、そこまでして買いたいとも思わなくなりました。

 

本当に、お手軽さだけで言えばスマートフォンアプリゲームが一番です。

まあこちらはこちらで、ガチャという非常に罪深い課金システムのおかげで楽しくない(楽しめない)ものだったり、似たり寄ったりなゲームばかりがリリースされるから目新しさの欠片も感じられないという問題を抱えていますが。

 

 

要因その二:買ってもやる時間がない

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学生の頃なら時間はいくらでも有り余っていたのですが、社会人になった途端に自分の時間が大幅に減りますから、それだけでも他のことをしているうちにゲームをやる時間が無くなってしまいます。

 

それに、仕事で疲れ果てた体でゲームをやろうという気も起らないですし、なんなら何もしたくなくなるときもあるくらいです。現実、仕事をしていたときはスマホゲームですらやる気になりませんでした(プレイしていたゲームに飽きていたのもありますが)。

 

そうこうしているうちに、また新しいゲームだったり続編のゲームが出たりして、それを買う。だけれどもやる暇がないからソフトだけが積みあがっていく…。

 

積みゲーって、こうしてできていくのでしょうね。

 

 

要因その三:ストーリーや設定、デザインを見るだけで満足

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これは私の問題ですが、最近はゲームの操作性やシステムということよりも、ストーリーやキャラ設定、デザイン、世界観のほうに引き込まれるようになりました。

ゲームを自分でプレイすることの興味よりも、設定を知ることのほうがよっぽど興味があります。

 

ですから、これは恐らく良くないのでしょうが、誰かのプレイ動画を見るだけで満足になります。正直、私はそれで十分なのです。

 

自分でプレイすると、下手くそで先に中々進めなくて、しまいには投げ出しますから。

 

 

終わりに

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私がゲームをやらなくなった要因を考えると、その中には社会的要因によるものが含まれているように思います。

 

例えば、仕事で疲れ果ててゲームをする気も起きないということ。ここに、現代の社会において何か歪なものが生じているように思います。

 

パッと思い浮かぶものだと、長時間労働が当たり前とされる社会や通念、生きるために娯楽を捨てて仕事にしがみつかなければならない状況を生み出している社会や構造、といったところでしょうか。

 

そこには「ゼイタクは敵だ」と言わんとする社会があるように思います。ゼイタクをしてこそ、人はリフレッシュできたり活力を得ることができると思うのですが、それを許さないような、狭苦しい社会が存在しているように感じるのです。