投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

クラウドソーシングで稼ぐ「フリーランス」の生き方なんて夢物語だった。

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近年注目されてきた働き方として、リモートワークがあると思う。会社に出勤することなく自宅で仕事をする働き方だ。それが副業化したのがクラウドソーシングだと私は認識している。有名所としては「クラウドワークス」「ランサーズ」といったところだろうか。

 

そこでフリーランスとして自由な生活を送っている人もいる。私も一度そういうことを目指したのだが、すぐに自信を失って諦めた。

クラウドソーシングへの恨み・つらみ・僻みをこめたような、全く実りが無くて下らない話であるから、何も期待しないでほしい。

 

 

 

 

何らの技術や実績がない人間には稼げない

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当時私は就活に心折れた大学生だった。就職して会社に通勤するということを毛ほどもしたくなかったから、会社に属すことなく稼いでいける「フリーランス」の生き方しか、そのときは考えられなかった。

 

フリーランスで仕事を得るには、そういうサイトで仕事を探して引き受けるのが手っ取り早いと思って、「クラウドワークス」「ランサーズ」といったサイトに登録した。これで自分も自由な生き方が出来ると自惚れた。

 

しかし私には何のスキルも実績も無かった。当時私はイラストで生きていきたいなどど抜かしていたが、趣味レベルで下手くそな絵しか描けなくて実力もなければ、実績など皆無だった。他のことに目を向ければ、プログラミングなんて全く分かりもしなかったし、ライティングなんていうものも出来る気もやる気もしなかった。

 

それにイラスト系だと、AdobeのillustratorやPhotoshopを使えることが必須条件のようなものだった。私はclipstudioのソフトでしか絵を描いていなかったし、商業で通用しそうなイラスト作成ソフトはそれしか持っていなかった。継続してAdobeソフトの使用ライセンス料を払えるほどの財力も無かった。だから、ai方式のデータを納品する案件は必然的に受けることができなかったので、最初から受注可能な案件がとても少なくなってしまって途方に暮れた。

 

それでも何とか応募できる案件を探して、何度かコンペ方式の案件に応募するも、当然クオリティの低い私の制作物が採用されることはなかった。恐らく受注者からは「質の悪いものを応募してくるクソみたいなワーカー」だと思われたことだろう。

 

時々、他のワーカーのプロフィールを見てみることがあった。ほとんどの人が何かしらのスキルを備えている上に、ある程度の経験や実績も兼ねていた。そんな中で、何もアピールできるものが無い私は、カスみたいな存在なのだと思い知らされた。

 

そして、何らの技術や実績がない人間は、クラウドソーシングで稼ぐことは不可能なのだと悟って、全てを諦めた。

 

 

新規参入なんてできない

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クラウドソーシングサイトで、「〇〇様専用案件」というものをよく見かけた。サイトの仕様上、公開しないとワーカーが受注できないようになっていたのかどうかは知らない。そうした案件を見ていると、新規参入者は案件を獲得するのが厳しいように感じられた。

 

変な話、メンバーが固定化された「グループ」のようなものがいくつもいくつも出来上がってしまっていて、そこに新参者が入る余地は無いのだと思った。

 

現実で考えるなら、学校である程度時間が経つと、仲が良い生徒が集まって形成されたいくつかのグループが出来上がって、そのメンバーが固定化されて関係性も固定される、というイメージだろうか。そこに新しく飛び込むということは、非常にやりにくいとは思わないだろうか?

 

前々から関係が出来上がっているワーカーのほうが細かい勝手を理解していて話が早かったり、どういう成果を持ってくるか予想を立てやすかったりするものだ。素性も知れない新入りの私に仕事を振るよりも、そのほうが楽だしリスクも少ない。私が依頼者だったらそうすると思う。

 

まるで案件に入れる余地がないと私は感じ、全てを諦めた。

 

 

コミュニケーションが必須なので人間嫌いには無理

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私は人と関わりたくなかった。人と関わるのが嫌だった。正直今でもそれは変わらないというか、むしろひどくなっているかもしれない。

 

やはり、クラウドソーシングで案件を出す依頼者と折衝をしなければ仕事が進められないのは当たり前である。要件定義の確認や進捗報告などのやりとりをするのも当然なのだろう。

 

しかし、私としてはそれが嫌で嫌でたまらなかった。相手の言うことから、欲しがっているものを察するということをやりたくなかった。もっと言うなら、そういう人間の相手をするのが疲れる上に、そもそも人間が嫌いなのでそうしたコミュニケーションをとることをしたいと思わなかった。

 

もはやコミュ障というレベルでは済まないコミュニケーションへの消極さから、私は全てを諦めた。

 

 

他人の要望を叶えばかりの仕事をする生き方が嫌だった

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もうクラウドソーシングとも関係ないだろうが、誰かが望むことを実現させる仕事をする生き方を、自分を押し殺してやらなければならないことだと考えていた私には到底無理な生き方だった。

 

疑う余地もなく、私の仕事観は歪みに歪みまくっていることだろう。そんな人間だから、他人のために自分を犠牲にして尽くすというイメージがこびりついた「仕事」をすることを拒絶しているのだと思う。

 

クラウドソーシングなどといった、フリーのそうした案件について「自分が欲しいと思うのなら自分で手に入れたり作ればいいじゃないか」と思うくらいには、ひどい認知になっている。「人に頼るのではなく自分でやれ」と常々思ってしまう辺り、本当に人が嫌いで信用もしていないのだろうと思う。

 

もう仕事どころか人間不信レベルなまでの歪んだ認知をしているがゆえに、私は全てを諦めた。

 

結局、登録したクラウドソーシング系のサイト登録は全て消去した。そうして私が得たものは、何もなくて何もできない空っぽな現在の自分、それまで何もせず何も身に付けなかった怠惰な過去の自分、過去と現在の自分に絶望し後悔にまみれすべての自信を失った自分だった。