今週のお題「おとなになったら」
子どもだったころ、私は大人に憧れていたような気がします。
自分で自由に欲しいものを買えたり、行きたいところには自由に行けたり、やりたいと思ったことを自由にやれたり…そんな「大人」という生き物に、私は成りたかったのだと思います。
子どもは親の言うことを聞いて、それに従わないといけなかったり。
言うことを聞かなかったり、従わなかったりすると怒られたり。
何かを買ったり、何かをするにしても、親の了承が必要だったり。
子どもだけでは、親の許可が無いとどうにもできなかったり。
子どもは子どもで窮屈で、大人になったらそんな窮屈とはおさらばできて、大層な自由が約束されている…そんなことを思っていました。
時は流れて、20歳で成人しました。
お酒が飲めるようになると、一気に「大人」になれたような気がしました。
そうして年齢的に大人になったら、自然と精神的にも立派な「大人」になるものだと思っていました。
芋虫が蛹となり、そして蝶になるかのように。
けれども、私は立派な「大人」には成れなかったと実感しています。
成人から間もなくやってきた大卒の就活で、人生で初めて盛大につまづきました。
自分は何をしたいのか、何になりたいのか。どうありたいのか。
考えれば考えるほど、自分はからっぽで何の価値も無い人間なのだと、自己嫌悪と劣等感の底なし沼に沈んでいき、心が荒んでいく日々でした。
エントリーシートを書いても、上辺だけの中身が無い文章に感じたり、
面接に行っても、からっぽな自分を尋問され、そして断罪されるような気持ちになっていました。
一応、新卒での就職はできました。
しかし、就職をゴールにしてしまった私には続けられず、半年で辞めてしまいました。
蛹がきれいな蝶になれたかと思ったら、中身がグズグズの汚くて歪な蝶未満のナニカが生まれました。それが私でした。
仕事を辞めてから、2年間はニートでした。
このニートの時期が、個人的に人生における2番底となっています。
お金も無ければまともな収入も無い。再び心が荒むのもあっという間でした。
仕事を早期退職した挙句、精神を病んでる成人男なんて、どこが立派なのでしょうか。
むしろクズに限りなく近い人間だったのではないかと思います。
それでも時間が経つにつれ、ダメな自分にでもできることをしようとなり、何だかんだで現在のアルバイトを見つけることができました。
いい歳してアルバイト、というのも恐らく「ダメ」な大人なのでしょうけれども、それでもニートで腐っていた頃よりも遙かにマシになっていると思っています。
ただ、そのバイト先の社員の人たちの言動を見聞きしていると、「立派な大人」とはお世辞にも言えなかったりして、「立派な大人」って一体何だろうな…と思案を巡らせてしまう、そんなダメな大人なのでした。