ずっと自分が生きる意味について考えていました。
仕事とは何のためにするものなのかと考えていました。
どうしてやりたいことを周りは認めてくれないのかと考えていました。
いつから持っていた夢を、希望を手放してしまったのかと考えていました。
自分が心からやりたいと望むことは何なのかを考えていました。
考えるたびに、悲しくなって、息がしづらくなって、涙がこぼれました。
なぜやりたいことを我慢して人は生きているのでしょうか。
みんながそうしてるからでしょうか。
みんなが幸せでないからお前も幸せになるな、という同調圧力でしょうか。
私はそれが嫌で嫌でたまりません。耐えられません。
どうして自分の幸せを追い求めることを他人が阻むのでしょうか。
私には理解できません。
我儘と言われても結構です。私は自分の道を歩きたいと願っています。
けれどもこの願いは周りには届きませんし、否定もされました。もう届かないなら、話す意味もないと思ってしまって、胸の中にしまいこんでしまいました。
そしていつからか、誰も理解してくれないと思い、この願いを打ち明けることがなくなっていきました。
そして自分を殺す日々。忙しさに追われ、体力が消耗していって、心が悲鳴をあげて、また生きる意味を探して、生きづらさに呼吸ができなくなって、つらくなっていく自分がいました。
自分らしく生きることができない、自分らしさを認めてくれない、受け入れてくれない世界は、こんなにも狭苦しくて生きづらいものなんだって、そう思うのは、自分だけなのでしょうか。
今日も私は生きづらい日を生きていく。明日も、明後日も、続いていく。