投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

IPOセカンダリー投資にハマる。

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どうも無職改めアルバイトです(気さくな挨拶)

 

最近の株式投資は、私の中ではIPOが熱くなっております。

 

IPOというと、投資家の間では、当選して初値で売れば大概は勝てる、利益を得られるということで、かなり人気な投資対象です。この方法は、IPO投資においては「プライマリー」と呼ばれる投資方法になります。

 

しかし、IPOに当選するというのは、かなり確率が低くて、一説によれば宝くじを買って当選するのと同等、下手するとそれ以下という非常に不確実な方法となっています。

正直なところ、証券口座を複数持った上で、IPOを公開価格で買えるだけの資金が潤沢にある人たちが取れる手法であって、投資資金に余裕のない弱小投資家には、プライマリー投資は厳しいものがあるように思います。

 

当選が無理なら、IPOが株式市場に上場して、そこで初値がついてから自由に取引できる状態になってから、実際にIPOの株を売買するというのが「セカンダリー」という投資方法になるわけです。

 

セカンダリーは、初値が付いた直後にやると株価が乱高下しますから、上手くやれば一日でも大きな利益が得られるチャンスがある反面、それと同じくらいに大きな損失を抱えてしまうリスクもあります。

 

そんな私はというと、ここ最近のIPOセカンダリーで、初値形成直後にデイトレードを何回かやってみまして、何とか収支としてはプラスに収めることができています。

 

過去のIPOの初値形成時のザラ場のチャートを見て、寄り付いた後はどういう値動きをするのかと分析したり、ここ最近のIPOでも上場2日目、3日目、4日目…とずっと株価をウォッチングしたりと、色々と努力をしている次第です。

 

最近はIPOが初値形成後、どういう値動きをするか、それに伴ってどういったチャートを形成していくのかと、さらにどんなチャートパターンが考えられるのかと、そういったことを分析・考察したりするのが楽しくなっています。

 

IPOセカンダリー投資は、初値形成直後だと非常にリスキーですので、上場してある程度時間が経ってからのセカンダリー投資のほうが、リスク度で言ったら安全だと思います。

 

それでも私は、上場直後の激しい値動きの中で利益を勝ち取るのがクセになってしまいまして…。一日で2万円の利益なんてものを経験してしまうと、その味が忘れられなくてついついまた同じことを求めてしまうのですね。

 

大負けして資金が尽きてマーケットから退場、という最悪の事態にはならないように立ち回りたいものです。

メンクリに行ったら、患者の女性が喚き散らして飛び出していった。

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※画像はイメージです


どうも無職改めアルバイトです(気さくな挨拶)

 

今でこそかなり精神的に回復はしてきましたが、メンクリ通いはまだ継続中な私です。

 

さて、2月の受診において、前の患者さんが診察室を飛び出して、ものすごく取り乱しつつ喚きつつで、その勢いのまま外にまで出ていってしまった場面に遭遇しました。

 

今のメンタルクリニックに2年以上通っていますが、主治医との診察中に大声を出してまで取り乱したり、あまつさえクリニックを飛び出していってしまうような人は今まで一人たりとも見たことが無かったので、私は非常に驚いた次第です。

ついでにクリニックのスタッフの方たちも「大丈夫なんですか?」と主治医の先生に訊いていたりと、少々困惑していた様子でした。

 

こう言っては大変失礼ですが、世の中にはここまでの「ホンマモン」がいるんだなあと思いました。こういう人を時には相手しないといけない精神科医というのも、大変な仕事なのでしょう。

 

でも、その喚き散らして出ていった女性の方も、恐らくは精神的なつらさ・苦しさから解放されないことに苛立っていたり、そのことを理解してもらえないことで感情が爆発して、自分でも訳が分からなくなってしまったのかもしれません。

 

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私も通院していて、主治医の先生などとカウンセリングをしている中で「やっぱり自分のつらさなんて理解してもらえていないんじゃないか、話しても無駄なんじゃないか、無意味なんじゃないか」という気持ちになっていた時期がありますから、その苦しさも理解できなくはないです。

もっとも、大声を出すまでに感情的になって取り乱す…なんてことは当然したことがありませんが。

 

ちなみに女性の方は、お母様らしき人と一緒に来ていて、そのお母様は外に飛び出していった女性の後を追いかけていきました。そして、女性の取り乱した大声が外から何度か聞こえてきたりしました。それから少しして、お母様のほうがお会計などを済ませに戻ってきて、スタッフの方に軽く謝ってからクリニックを後にしていました。

 

何と言いますか、私もメンタルが荒れてたころ、親に対してメチャクチャに感情をむき出しにして喚いたことを思い出しました。そんな親不孝をやってもなお、何だかんだ言いつつも2年も無職の息子を追い出さず家に置いてくれたのって、実は恵まれたことではないか?とも感じました。

 

メンクリで喚き散らした女性を見て、かつての自分への反省と、本当は恵まれていた居住環境という気付きを得たように思います。人の振り見て我が振り直せ、というわけでもないですが、主に家族には迷惑をかけたなあという自覚が芽生えるのでした。

この世に人間として産み落とされたから人間として生きているだけで、別に人間じゃなくても良い。

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どうも無職改めアルバイトです(気さくな挨拶)

 

皆さんは、生きる意味というものを考えたことがありますか?

私は何度もあります。

 

大学の新卒で就活したとき、いざ新卒でスーパーの正社員として働いているとき、新卒の仕事を辞めて2年間ニートをしていたとき、そしてアルバイトとしてブラックな会社のもとで働いている今現在…

 

大学生という人生のモラトリアムを過ぎてからは、むしろ自分の人生なり生きる意味なりを考えていない時期を探すほうが難しいかもしれません。それくらい、ひたすら私は「自分の人生とは?生きる意味とは?」と、自分に問い続けていたような気がします。

 

けれども、何度問い続けても、私は私自身の出した答えに納得できなかったり、そもそも答えすら出せなかったり、自分なりの答えを出せたとてそれが現実を目の当たりにして呆気なく砕け散ったりと、割と惨憺たる結果になっていると思っています。

 

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考えても考えても、そしてある程度の回答を導き出しても、それだけ苦労した分が報われる保障はどこにもないと、最近は思うようになってきました。

というか、人生ってそこまで深く考えないといけないものだったっけ?もっと即物的に、もっと気楽に考えたっていいのではないか?と疑問にすら思うようになりました。

 

「人として生まれたことに意味がある」とか「人は使命を持って生まれてくる」と言う人もいるけど、本当にそうなのかな?って感じます。ぶっちゃけ人として生まれることに意味なんて無いし、人として生きることに使命なんてものも無いような気がします。

 

ただ単に、自分は人間として産み落とされたから、人間としての生を送っているに過ぎないというのが本当のところだと、私は感じています。

ミジンコに生まれたならミジンコとしての生を送るだけだし、木として生まれたなら木としての生を送るだけで、人間として生まれたことに特別な意味なんて無いでしょと。

 

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人間に生まれたからって偉いとも私は思っていません。そういう風に考えるのって、それこそ人間のエゴって感じがして、私は気持ち悪くて好きではないのです。

 

人間として生きることが尊いなんて、誰が言ったのだか。

 

今や地球を埋め尽くさんとするほどウジャウジャいる人間の、どこが尊いんですかと。

むしろ供給が多すぎて価値が大暴落してるんじゃないですか?と。

 

そういうことを考えると、私という人間が存在している価値なんて別に無いんじゃないかと思います。こう書くと病んでるの?って感じですが、特段病んでるわけでもなくドライに考えた結果がこれなので私の根幹が元々こういった感じなだけかもしれません。

 

いっそ、人の業を離れて解脱したいですね(悟り)

仕事にやりがいや自己実現を求めるのは間違っている。

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どうも無職改めアルバイトです(気さくな挨拶)

 

皆さんは、自分の仕事にやりがいを持っていますか?

あるいは、仕事を通じて自己実現ができていますか?

 

私はできていません。

 

というか、仕事でやりがいやら自己実現やらを求めること自体が間違っていることではないかと、この頃は思うようになりました。

 

仕事というものは、怒られない程度に適当に手を抜いてこなして、給料をふんだくる場所であり、それ以上でもそれ以下でもない、期待など持つだけ無駄な場所であるという風に、私は捉えるようになりました。

 

心が渇いてしまったと言われれば、そうかもしれません。

 

確かに私も、仕事に情熱を向けて、それが生きがいになればいいなとか、仕事を通じて自分のやりたいことを成し遂げられたらいいななど、何やらギラギラしたものを仕事に求めていましたし、期待もしていました。

 

結局、仕事については期待をするだけエネルギーが奪われるものだから、最初から何も期待しないで、ただ淡々と作業をこなして金を得るための場所だと割り切っておくほうが無駄なエネルギーを消費しなくて済む、というわけです。

 

イカレた職場。イカレた人間。イカレた会社。雑な指示。急な仕事の割り込み。

 

こんなので仕事にやりがいなんて微塵も感じないし、こんなのに自己実現を求めるほうがどうかしてるという感じです。

 

現実を体感して等身大の大人になったと言うべきなのか、世の中の汚さで心がドライになったと言うべきなのか、まだ私には分かりません。