投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

安売りや安さの裏には何があるのかと考えると、安売りに良い印象は抱けない。

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高いものと安いものだったら、あなたはどちらを選ぶだろうか?

 

 

物にもよるだろうが、多くの人は安いほうを選ぶと思う。

上がらないどころか下がる賃金、重くのしかかる税金、先行き不安でますます固くなる財布のひも…みんな仲良く貧乏になって、みんなお金を使わなく(使えなく)なっていっているような、そんな状況が広がっているような気がする。

 

そんな貧乏人の味方ともいうべき存在が「安売り」である。理由は単純明快で、お金がかからないからだ。実際それで助かっている人もいるのではなかろうか。

 

しかし、考えてほしいことがある。

 

どうしてその値段で売っているのか?どうしてその安さなのか?そこには何が隠されているのか?ということである。

 

 

 

 

裏に蔓延る犠牲

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安売りをする側の視点から考えると、物が安い分、数を多く売らなければ利益などが出せないため、とにかく売って売って売りまくる必要がある。

 

少し具体的な話をしてみよう。100円で売るのが適切な物を50円で売るとする。

 

客(消費者)からすれば、安く物が手に入れられることは非常にありがたいことなのだろう。しかし販売する側からすれば薄利で利益が上がらないので、多売のためにとにかく動いて数を捌かねばならなくなるのだ。

 

それを単純に考えれば長時間労働につながるという話になるし、利益が出ない場合だと人件費削減で更なる労務の多重化にもなりかねないし、何なら給料が下がって生活が厳しいものになることもありえる。

 

その安さは、一体誰の犠牲のもとで成り立っているのか?

 

一度でいいから考えてみてほしい。

 

 

品質の悪さ

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一言で言えば「安かろう悪かろう」である。

 

値段というものは、それ相応の理由があってその値段なのだ。「高すぎる!」「安くてお得!」という基準だけで判断すると大概は「安物買いの銭失い」になる。安いものはやはりどこかしら品質が悪かったり、すぐにダメになって使えなくなる粗悪品であったりすることが多い。

 

個人的な感想になるが、100円ショップで買うものは品質がどうも低いものが多いような印象を持っている。多色ボールペンは短期間でインクが固まって使えなくなった。自転車の前かごのカバーもすぐに破けたりジッパーが壊れたりして、使い物にならなくなった。

最初から自分が納得できる範囲でそれなりの品質のものを買っていれば、損したような気分にはならなかっただろうなと思ったりもする(この場合は物が100円なのでそこまででもないが)。

 

であるから、安いものを買ってその品質の悪さに辟易するのはお門違いもいいところなのである。「安くて高品質」などというのは存在しないのだ。探せばあるかもしれないが、それはそれでどこか裏があったりするものなので疑ってかかるべきだと思う。

 

 

壊れる市場

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安い値段で売るということは、言い換えるなら適正価格で売らないということでもあったりする。

 

よく「競合店対抗!」「他店より1円でも高かったらお申し出ください!」といった表示がされているのを見ることがある。そのたびに、こうした激しい価格競争の果てには何が待っているのかを想像する。

 

恐らく、こうしたことを続けているといずれ市場が壊れるような気がする。

 

適正なものが本来の適正な値段で売れないから、そこから下げられて付いた値段がいつの間にか基準となって固定化されるか、更に下げないと売れないような状況が出来上がってしまうのではと思う。少しずつの積み重ねが時間を経ることで大きく積みあがって、気が付いたころにはどうしようもなくなっていて手遅れだった…ということが起きるのではないかと、そういうことを考えたりもする。

 

そうでなくても、安く買い叩かれた結果適正な報酬が払われないことで、その担い手となる人たちの生活が安定しないものとなり、それで担い手がいなくなって供給がなくなり市場そのものがなくなる…という憂いも感じたりする。

 

安さだけが正義なのか?

 

ということを考えてほしいと思う。

 

 

安売りのスーパーで働いた経験より

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ここからは個人の経験談である。

 

私はかつて、とある中小規模のスーパーに勤めていた。そこは地域密着と安売り路線を売りとしていたところだった。地域密着は競合他社との差別化ということで特に何とも思わなかったが、個人的に安売り路線は好かなかった。

 

「良いものを安く!」と社長は言っていたが、「そんなことしたら適切な金が入らなくなって、自分で自分の首を絞めることにならない?」と思わずにはいられなかった。ただ、そんなことは新卒の私からはとても言えたものではなかった。

 

実際働くと、やはり多売な商売スタイルをしていた以上、商品をどんどん作ってどんどん売り出さなければいけなかったので、休みなく動き回って私はとにかく疲弊をした。そこに長時間労働も重なって働くのがえらくしんどかった。安さの裏で自分が犠牲になっていた気分を味わった。

 

食品スーパーであるから、食品という必須品を売っているためにどうしても安さは必要なのかもしれない。しかし、それで誰かを犠牲にする(していい)という話にはならない。その人も生きているのだから、生活があるのだから、そこを見ないでないがしろにするのはあまりにも残酷である。

 

ちなみに、私が勤めていた店舗は赤字続きで採算が取れないということで、業務スーパーへの転換が決まった。ちょうどその改装が終わる頃に私は退職となったので、その後のことは知らない。多分、改装前よりも忙しいことになっていると思う。

 

自分が安売りの犠牲になっていた以上、安売りにはもう嫌な印象しか抱けなくなった。