ビルというコンクリートの樹木で日が遮られたジャングル。
人という砂が広がる砂漠。
ただ虚ろに存在する私。
人に溢れる都会の街中にいると、考えることがある。
私にとって都会とは、東京とは、どういう存在なのかということに。
都会と私
私は生まれも育ちも東京という大都会だ。
東京、とはいっても生まれ育ったのは板橋区というかなり地味であろう地域だ。
それでも池袋はすぐに行けるほどに近いし、新宿や渋谷だって1時間もあれば電車で行ける範囲の場所であるから、私の住んでいる場所は案外と便利で穴場じみた場所感はあると思うし、実際不便はそこまで感じていなかった。
欲しいものは、池袋や新宿をうろついて探せば大概見つかった。
高校や大学は渋谷に近かったので、帰りに渋谷に寄るなんていうこともできた。
もっとも、高校だと先生が街中で生徒が遊んでいないか見回りをしていることもあり、見つかってありがたいお話を聞かされることになるのも嫌だったので、在学中に行くことは無かったが。
大学ではサークルなどの飲み会で、渋谷には何年間も大変お世話になった。
私にとっての東京・都会というのは、もっぱら池袋・新宿・渋谷のいわゆる「副都心」と呼ばれる場所である。
そこに私の青春が、希望が、夢が詰め込まれていったし、これからも変わらずに都会にお世話になって生きていくのだと、そう漠然と思っていた。
どこか妙な都会の人と電車
駆け込み乗車
電車で通学をするようになってから、駅で電車に駆け込む人をよく見かけるようになったし、自分も駆け込むようになった。
都会の電車なんて、路線にもよるだろうが5分くらい待てば次が来る。
それなのに、目の前に電車が止まっていれば無理をしてでもその電車に乗ろうとする。それで急いで走って駆け込む。
こういう光景を見るたびに、都会の人はみんな時間に追われていると思う。もちろん自分も例外たり得ないけど、どうしてそこまでして急ぐ必要があるのかと妄想をたくましくする。
一分一秒たりとも時間を無駄にしたくないからだろうか?
それとも毎日ギリギリまで家にいるから、少しでも遅れたらアウトな環境に身を置いているからだろうか?
どちらにしろ、自分を含めた都会の人たちは余裕がなさそうだった。
満員電車
都会の朝は通勤通学ラッシュ 、夕方は帰宅ラッシュで電車は人でギュウギュウ詰めになる。ストレスもいいところだ。
人生のほぼ毎日を、窮屈で不快で大変な思いをして1時間、往復だと2時間という時間を費やすのがバカらしかった。今では私はもう無理だが、学生のときはよく耐えられたものだと思う。
ツイッターのトレンドを見ると、もはや恒例であるかのごとく「満員電車」のワードが頻繁にあがる。呟かれているのは、満員電車に関する愚痴や不満など様々である。
そうした呟きを見ると、どうして嫌なのに自分から動いてそこから抜け出そうとしないのか不思議に思う。誰かが救ってくれるなんて、幻想でしかないのに。
人身事故
電車の人身事故もツイッターではよく話題になる。
単純に運行状況の情報が流れて共有されるだけではない。
止まった路線の利用者の困惑や嘆きも一様に放流される。中には人身事故ふざけるなとか、死ぬなら人に迷惑かけずに死ねという心無い呟きも流れてくる。
仮に、人身事故が鉄道自殺によるものだったとすると、自殺した人は死ぬまでどのような思いをして今までを生きていて、死ぬ間際に何を思ったのだろうかと私は思いふける。
何がその人を死に追いやったのか。その人の生きる活力を奪っていったのか。そんな人を生み出してしまう社会とは。そんな人を救うことができない社会とは。
都会とは、かくも孤独で寂しい場所なのだろうか。
大都会東京で感じた孤独と生きづらさ
孤独
私の都会に対する思いは、就職活動を契機に激変した。
様々な要因があって就活時に心を病んでしまった私は、都会が大嫌いになった。
東京という大都会なら、会社なんてそこら中に腐るほどある。
でも、そこには手が届かなかった。自分から歩み寄っても、面接という儀式を経てはじき出されることが多かった。
当時、自分の存在意義や生きる意味を見出せなかった私は、この街に必要とされていない存在なのだと思い深く絶望した。
街は人で溢れている。人込みの中行き交う人々は、今日もどこかの目的地を、あるいは帰る居場所を目指して進んでいるのだろう。
私はどうだ。
目指す場所もなく、帰る居場所もない。何者にもなれず、ただ都会にたたずむだけだった。この時の私にとっては、自宅は私の居場所たり得なかった。
誰かに私という存在に気が付いて欲しかった。認めて欲しかった。居場所が欲しかった。
しかし、砂漠に雨など降らない。乾いた心は砂漠の中では潤せない。
それは私には残酷な現実だった。
生きづらさ
なんだかんだで新卒で就職はできたけれども、半年で仕事を辞めた。辞める少し前から色々と自分のことを見直していて、辞めてからはその時間が増えた。
きっと私は今の社会からすれば、はみ出し者で不適合な人間だろうと思う。
無職になってから歩いた人込みの都会の街は、変わり者の私でも溶け込めるような、何も言わずに受け入れてくれるような、そんな感じがあった。
一方で、多すぎる人の中に自分は埋もれていって、結局は孤独に終わるのだろうという鬱屈とした感じもあった。むしろこっちのほうが強く感じていたかもしれない。
久しぶりに出た都会は人にまみれて窮屈で、息が詰まりそうだった。
都会はもう、私には生きづらい場所となってしまった。
ビルの森林から見上げる空は、ひどく狭く見えた。
それでも住みたい場所があるわけでもない
私は都会から、東京から離れたいと思い始めている。
都会にいるのが、何だか悲しくなってきたからだ。何かが満たされないからだ。
そうは言うものの、私にはどこか住みたい街などがあるわけでもないし、そのあてもない。
東京以外のことを知らないのだ。
知らないけれども、定住という生活スタイルそのものにも疑問を感じ始めている。
一つ所に住むというのは最近の私の性分だと飽きそうであるし、呪縛にもなりそうな気がしている。
まあ、やってみたことがないので実際のところは本当にそうなのか判断できないが。
住みたいと思う街は果たしてあるのかどうか。それを確かめる旅に出るのも悪くないかもしれないと、最近は本気でそう思っている。
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