どうも皆さま。ヒトヒラです。
最近、朝起きたときはいいのですが、午後になって日が落ちてくる時間くらいからひどく沈んだ気分になって、もの凄く闇を抱えつつも闇を撒き散らす狂人と化しつつあります。
そんな感じで狂気に身を置いたときに、見えたことがありました。
世間を騒がせた事件を起こした無職の人たち(いわゆる「無敵の人」)は、こういう風に心が歪んでいった結果として事件を起こしたのかなと、彼らの気持ちや心理を垣間見ました。
今回は、そんな感じで狂人が狂気の中に見出した真理のようなものを、お話ししたいと思います。
始めに
誤解なきよう最初に申し上げておきますが、過去に凶悪犯罪を犯した無職の犯罪者たちを擁護するわけでは決してありません。
彼らは、本来誰も奪ってはいけないはずの命や財産などを奪っています。
犯してはいけない領域を犯したのですから、その点で彼らを擁護することはありませんし、許すこともありません。
「無敵の人」
ネット上では、無職の人のことを「無敵の人」と呼ぶことがあります。
その意味合いとしては、定職に就いていないがゆえに会社や社会的立ち位置も無ければ失う財産も無く、人付き合いも無い…そうした感じで、何か問題を起こしても失うものが何もない、あるいはあったとしても少ない人のことを指すワードとなっています。
これに加えて「無敵の人」たちは、往々にして問題を抱えている場合が多い傾向にあります。
本人が精神的な疾患を抱えていたり、育った家庭に問題があったり、学校や会社などの社会に適合できなかったりなど、またはこれらが複合的になっていることもあります。
総じて、彼らは社会的弱者であったり、社会的少数者であるのです。
臭い物に蓋をされた結果
「無敵の人」の苦しみや嘆きは、どこに向かうのでしょうか。
恐らく一番最初は、家族などの身近なところではないでしょうか。そこで悩みや生きづらさなどを相談したり打ち明けたりするのだろうと思います。
その第一段階で理解が得られなければ、第二段階として、彼らの嘆きはネット上にその姿を表すのだろうと思います。
身近な存在に理解がされない、受け入れられないのであれば、自分を認めてくれる存在を求めて自らの抱える闇を放出するのです。
もし認めてくれる相手が見つかれば、それで一旦はハッピーエンドになれます。(その状態が続くかどうかはまた別の話ですが)
見つからない、あるいは「構ってちゃん」「メンヘラ」などと揶揄され、まともに相手をされなかった場合、この時点で「無敵の人」に居場所がなくなります。
第三段階としては、際限なく自身に溢れる心の闇を放出しつつ、徐々に自分を破壊していくことが考えられます。
あらゆる負の感情が「無敵の人」その人自身、その一点に向かって突き刺さっていくのです。それでも一方で、心の闇を放出することで痛みを分かってくれる人を探し求めるのです。
第四段階は、「無敵の人」に向けられていた負の感情が、社会への恨みなどの感情に転化され、そのベクトルを社会に向けるのです。
社会への憎悪が「無敵の人」を動かす燃料となる上に、その燃料は無尽蔵です。
ここまで来てしまったら、もう戻ることも止めることも至難の業でしょう。
彼らに見えるのは「社会」という復讐すべき対象だけであり、それにただひたすらに向かうだけなのですから…。
そして惨劇へ
「これは苦しんでいる自分を理解してくれなかった社会への復讐だ」
「こんな自分を生み出したお前ら社会の方が悪いんだ」
実際に世間を震撼させた殺人事件を起こした「無敵の人」たちが、こう思っていたのかは分かりません。
けれども、これに近しい感情は抱いていたのではないでしょうか。
行き場を見つけられず、彷徨いに彷徨ってたどり着いた果てにこのような狂気に身を染めてしまったのだと、私はそう思わずにはいられません。
ともすれば、彼らが起こした事件というのは、彼らなりの生きた証であり、爪痕であり、アピールなのかもしれません。
ただし、最悪な形での表現であると言わざるを得ませんが。
それでも社会は無理解
凄惨な事件のあと、最早恒例と言っていいほどに取り沙汰されるのが、犯人の人物像についてです。
確かに犯人の人物像に迫ることで、事件の真相や発端・動機などが解明されれば同様の事件への再発防止に繋がりますし、お茶の間の人々からしても気になるし知りたい部分であると思います。
しかし、毎度のようにあるのが、家宅捜索でアニメやマンガなどのグッズが見つかったら、そうしたことが好きな人は皆犯人のような「異常者」であるかのように捉えられること、こうしたことにのめりこんで「現実と空想の区別がつかなくなったのでは」と言われることです。
「なぜそこだけを見るのか、もっと見るべきところが他にあるだろ」と、私はワイドショーを見るたびに思います。
サブカルチャーが好きな一人のオタクとして、声を大にして言っておきます。
「サブカルチャーが好きな人は皆例外なく異常者」ではないのです。
「異常者がたまたまサブカルチャーが好きな人」だっただけです。
それと、「本当に恐ろしいです」とか「理解できないです」とかコメントする出演者に関しては、あなたたちのように理解しようとする姿勢のない人間が、彼らの存在を生み出してしまったのだと自覚してほしいと、毎度思います。
それを見ているお茶の間の人たちも、「怖いね」「狂った人は何するか分からないね」などと言って終わらせるのではなく、どうしたら彼らのような存在を生み出さない社会になるかを考えてみて欲しいです。
「無敵の人」となり世間を震撼させる事件を起こすのは、次はあなたの子どもかもしれませんよ。
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