投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

イラストを自己承認欲求を満たすためのツールにしてはならない。でないと、道を踏み外したら落ちるところまで落ちしてまう。

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イラスト用のTwitterアカウントを消すにあたって、どうせ消えるのだから後腐れが残らないようにと、個人的なアカウント運用論と共に絵に対する私の思いや考えをぶちまけてきた。

 

そこで、センシティブな内容である「エロ絵」に関してかなり触れた。小規模なアカウントであるため、私の呟きは大きく拡散されることもなかったが、その代わりとして少々の反応があった。肯定的な反応が主だったが、否定的な反応も中には見受けられた。

 

そこから、イラストと自己承認欲求と、いわゆるエロ絵、ひいてはエロについて色々と考えてみた。

 

なお、記載したことはあくまでも私個人の見解であるため、これが唯一絶対に正しいものではないことをご承知いただきたい。

 

 

 

 

何のためにイラストを描く?

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イラストを描くということは、自らの世界などを表現する方法の一つである。であるから、本来的にはその人が何を考え、何を思ってイラストを描くのかはその人が自由に決めて然るべきことなのだ。これは外野である他人が介入できる領域ではないし、すべきでもない。そもそも、そうした権利は外野に与えられてなどいないのである。

 

ところが、そうして自分の世界を表現した作品に全く反応がないとなったら、誰にも見られていないという感覚になるだろう。TwitterなどのSNSで作品を投稿したことがある人なら、誰しもが味わったことがある感覚ではないだろうか?

 

誰にも見てもらえない状況が続けば、遅かれ早かれ孤独を感じるようになる。自分を見られていないということはすなわち、自分の存在を認めてもらえていないという考えにつながることが、往々にして起こるのだ。それで心が渇いて承認欲求に飢え始めて、何が何でも自己承認欲を満たしたくなるのだ。

 

そうして自分が気づかないうちに、イラストが自らの承認欲求を満たすための「手段」に、ひいてはイラストというツールで自己承認欲求を満たすということが「目的」に成り果てるのだ。本来であれば、イラストは自らの内に秘めたものを具現化するという「目的」を実現させるための「手段」に過ぎなかったにも関わらず、である。

 

今はイラストの場合を想定して話をしているが、これは何もイラストに限った話でもない。小説といった物書きなどの創作全般に対しても、同じことが言えるだろう。

 

 

普通のイラストから「エロ」に走ったら戻れなくなる

私個人としての考え

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そうしたわけで、普通のイラストを描いていた人間が自己承認欲求を満たすことだけに躍起になって、いわゆる「エロ絵」に手を出し始めたらもう末期的である。本来表現したかったものを差し置いてまで、エロを描き始める———そうなってしまっては、その人はクリエイターとしてほぼ死んだも同然だからだ。

 

エロで人を釣って集めることで、注目を浴びることができる。そうなれば自分のことを見てもらえる、認めてもらえる。エロ絵に走るとは、そうした思考に陥ってしまうことである。

 

確かに、最初はそれで人を引き寄せることができて、注目を集められるのかもしれない。それによって自己承認欲求を満たすことができて、心の渇きが潤わせられるのだろう。

 

しかし、そうしたことを始めると、以前から付いてきていた人はその様子に呆れたり失望したりなどして離れていく。続けていれば、エロもそのうち見飽きられていく。そうして再び人に見られなくなっていき、心がもう一度渇いてゆく。

そこからまたエロに手を出してゆく。見飽きられてしまった以上は、さらに過激なものを作らなければ人を寄せられなくなる。そうしてまた呆れられたり、飽きられて人は離れる。

 

以下、その繰り返しとなる。ただただ悲惨な末路である。

 

 

Twitterで寄せられた異論

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Twitterのほうでこうしたことを呟いたら、いくつか反応が来た。私の考えに賛同する人もいれば、異なる考えの人もいた。せっかくの機会なので、ここで実際に寄せられた私と異なる意見についても書いておきたい。

 

その人は大雑把に言えば「物書き」という立場の人だった。対して私は「絵描き」という立場だった。大きなくくりでは「創作」という世界にいるのは共通しているが、細かな部分では立っている前提や見ている世界が違ったのだろうと思う。

 

その人が言うには「エロに手を出すことは新しい挑戦ではないのか?」ということだった。加えて創作は好き勝手やるものだから、エロに急に目覚めたり、逆にエロを急にやめても問題ないだろ」とも主張していた。

 

確かにその通りである。先述したように、イラストで何を描くかということはその人の自由であるから、エロだろうが何だろうが好きに描くのが創作の正しい在り方だ。それを本人以外の人間がとやかく言うことではないのだ。やはりこれも、イラストに限った話ではない。その点で言えば、その人の意見は正しかった。

 

私としては、それのことを否定するつもりは毛頭なかった。 エロ自体が存在することについて私は否定しないし、そもそも否定できる立場になかったからだ。

下世話な話になってしまうが、私はそういうもので溜まったものを解消して生きてきた人間である。もしもそれらが存在していなかったらと考えると、現実で大変なことを犯してしまう可能性もありえたかもしれない。だから、エロの存在は無くしてはならない必要なものだという認識をしている。

 

ただ、異なる意見を提示したその人には的外れなところなどがあって、色々と思ったことがある。しかしそれは話すと長くなる上にこの記事の本題からは逸れるので、それとこれとは別ということでここでは割愛させていただく。*1

 

 

「エロ」と創作の関係を考える

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エロについて真剣に考えると、一言で言えば、エロとは人間の三大欲求である性欲に訴えかけるものだ。人間も生き物である以上、子孫を残すという動物的な生存本能が備わっているため、どんなに抗ったとしてもエロに打ち勝つことはできない。そのため、エロに人は寄せられて集まる。

 

私としては、エロで人の性欲を刺激して引き寄せることで注目を浴び、それで自己承認欲求を満たして気持ちよくなるという考えが大嫌いである。金銭目的の場合も同じである。

 

「取り合えずエロを出しておけば注目されて売れるだろ」「ほらお前らエロは好きなんだろ?」などと、安直な考えをしていてプライドの欠片も無い人間が心底許せないのである。

「エロ=売れる・注目される」という認識の輩が、下賤な思惑のもとでエロを量産して世に溢れさせているから、「これだからオタクは変態・異常者しかいない」と世間からヘイトを向けられるのではないかとすら思っている。・・・少々被害妄想が過ぎているのかもしれないが。

 

 

「エロ」に走りかけた過去の自分

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こんなにエロに色々と厳しい立場なのには理由がある。それは、私がそうした邪道に落ちかけたからだ。

 

元々は健全な、いたって普通なイラストを私は描いていた。それで自分の内にある世界観や価値観などを表現したかった。かつて私にとってイラストとは、そんな自分の「目標」を実現させるために用いる「手段」であったのだ。

 

初めはTwitterで細々と活動していた。作品を誰にも見てもらえない日々が続いたが、フォロワーが100人もいかない零細アカウントだったゆえ、知名度は皆無に等しかったので誰にも見られなくて当然だと当初は割り切っていた。

 

何度も挫折したり投げ出したりしながら、雌伏のときを過ごした。そんな中で少しずつフォロワーが増えていったことが、自分が徐々に認められてきたようで私は嬉しかった。アカウントを消去した時点で220フォロワー程度だったので、これでも小さかったといえば小さかったのだろう。

 

そうは言っても、200人以上もの人が私の作品を見るのだと思うとワクワクしてた。どれくらいの反応、どんな反応が来るのだろうと、投稿したときは気になりすぎて落ち着かなかった。

ただ、現実とは残酷なものであった。リプライもRTも無ければいいねも無い、ついたとしても、いいねが多くて精々5~6程度だった。版権物は多くの反応がされるも、オリジナルではそんなものだった。

 

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いつからか私は反応に飢え始めた。そこから、エロ絵を描けば反応されるという浅はかな考えに思い至った。けれども私のプライドがそれを許せなかったので、結局エロは描かなかった。己の罪深さを認識して空虚な気持ちになり、今一度イラストの世界から離れることにした。イラストを見るだけでも嫌な気持ちが湧くようになって、完全に心が参ってしまった。それでイラスト用のTwitterアカウントを消去したというわけだ。

 

どうせ消すのだからと、アカウントを消す前に私が言いたかったことを言い散らした。エロ絵に関してもその一つで、ここにまとめたようなことを呟いたのだった。私と同じ考えに至った人間に警告をしたかったのだ。「こちら側に来てはいけないぞ」「お前が望んでいたことは本当にそれなのか?」と。

 

その思いは、Twitterでは極々僅かにしか拡散されなかったのだと思う。だからこうしてブログという消えない形で、もう一度書き留めておくことにした。

 

同類への警告と、自らへの戒めを込めて———。