投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

誕生日を祝われなかった人間の心模様。

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あなたは、誰かから誕生日を祝われる人だろうか?

 

私は、誕生日を人から祝われることが、少なかった人間だった。

 「少なかった」というのは、まだ小さかったころ、親がロウソクを立てた誕生日ケーキを用意してくれた記憶が、私の中でおぼろげに存在しているからだ。

 

個人的な話で恐縮だが、そんな私は、去る2月1日に誕生日を迎えた。

誕生日を迎えた私はまだ20代前半で、アラサーには少し離れているという感じの年齢だ。

 

誕生日当日は、少しTwitterで、自分と誕生日のことをネタにして愚痴った。そうしたら祝わってくださった方もいて、私は嬉しくなった。

 

いつからか、私は両親から誕生日を祝われなくなった。小学生になってからというもの、誕生日を祝われたような記憶が無い。少なくとも、小学校高学年になってからは祝われていないことは確かである。

 

私の家は、多分貧乏とまでは行かないのだと思うが、それでも、決して裕福な家庭と言えたものではなかった。だから、一日一日、その日その日を生きて暮らすことのほうに、家族は意識が向いていたのかもしれない。

誰かの誕生日を祝うような余裕が、経済的にも精神的にもそんなになかったのだろう。わざわざ私の誕生日なんかにお金をかけるよりも、生活のほうが優先度は高いのだ。私も、頭ではそれを理解していた。

 

それでも、家族から誕生日を祝われたかった。祝ってほしかった。

プレゼントもケーキもいらなかった。

「誕生日おめでとう」の言葉だけが、その一言だけが、ただただ欲しかった。それさえあれば、他は何もいらなかったし、欲しくもなかった。

 

そんな寂しさや悲しさが、ふとした瞬間に、大人になった私の中でくすぶるのだった。

 

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また、私自身、親友と呼べるものが少なかった。

 

人付き合いな苦手な私は、学校では、グループの輪の中に入れないような、入れても気が付けばついていけなくて、いてもいなくても変わらないような、そんな人間だった。だから、親しい間柄の付き合いというのが、ほとんどなかった。

 

恐らく、親友同士ならお互い誕生日を知って、お互いに祝い合うということがあることと、勝手ながらに思っている。学校生活で、そうした光景を何度か目にしたことがあった。仲良しグループの中で誰かが誕生日を迎えていると、それをグループのメンバーが祝いの言葉を送ったり、ちょっとしたプレゼントを贈ったり、というのを横目で眺めたりしていた。

 

そういうのを見て、

「誕生日ということで、あんなにベッタベッタされるのは気持ち悪い」

「誕生日ということで、あんなにダル絡みされるのは居心地が悪そう」

「誕生日ごときで仲良しごっこしちゃって、ダサい奴ら」

と、完全に心が捻くれたようなことを思っていた。

 

しかし同時に、

「自分もああいう風に、誰かから誕生日を祝われたい」

「どうして自分はだれからも誕生日を祝われないの?」

と、悲しいような、虚しいような、やり場のない感情もこみ上げたりした。

 

ただ、今振り返れば、それら妬み僻みの感情は、孤独で寂しかったことの裏返しであったように思う。

青春時代に埋められることのなかった、ぽっかりと開いた心の穴が、今も私の中のどこかで口を開けたまま佇んでいるような、そんな複雑な心地である。

 

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それだからか、私が誕生日を迎える2月1日は「ごくありふれた日常の一日」という感覚になった。誰かから祝われることを期待しなくなったし、そんなことがどうでもよくなったのだ。何なら、自分でも誕生日のことを忘れたり、あとでふとした拍子に思い出すことがあるくらいには、無頓着だ。

 

正直、私は自らの誕生日に、何ら特別な感情は抱いていない。

その日は何も変わらない、何も特別ではない、ただ流れてゆく、いつもの日常の一コマに過ぎないのだから。

 

それでも、誰かが盛大に祝われている場面に遭遇すると、自分の中にある黒いものというか、ぽっかり開いた心の部分が広がっていくような心地を味わう。そこには、私が得られることのなかった大切な何かが、どんなに埋めようとしても埋められない何かが、判然とはしないが、確かに存在しているように感じられたのだった。