どうも皆さま。ヒトヒラです。
今回は初めてアニメを題材にして記事を書こうと思います。
といいますのも、扱う題材が中々に深くて考えさせられる作品でしたので、記事にしたくて仕方がないという部分が大きいが故です。
作品のタイトルは、「BEATLESS」です。
私は自室にテレビがなく、アニメはネットでしか見る環境がないので、旬な作品をリアルタイムで感想を言うことができません。
そもそもこの作品、調べれば2018年に既に放送されていたみたいです。完全に時期は過ぎ去っているとしか言えません。
それでも誰かに引っかかって欲しい気持ちで書きます。
本記事の内容には作品のネタバレを含む場合がありますので、作品の内容が気になる方は本記事を閲覧しないことを推奨いたします。
また、作者や制作陣の意図とは異なる見解を提示する場合もありますので、参考程度に留めてご覧いただきたく思います。
- 作品紹介
- ヒトとモノの関係性 -アナログハック-
- 何をもって人間とするか?人間と機械の境界線はどこか?
- 機械の起こした事象の責任は誰がとる?
- 現代社会で進行する「機械化」「AI化」へのアンチテーゼとして
- 余談:アニメ作品としての評価、感想
作品紹介
概要
「BEATLESS」は、長谷敏司氏原作のSF作品、およびこれを基に制作されたアニメ作品になります。
内容としては、技術が高度に発達した近未来を舞台に、進化しすぎた「モノ」とそれを扱う「ヒト」を描いています。
人間の主人公・遠藤アラトと、美しい少女の見た目をしたアンドロイドのヒロイン・レイシアのボーイ・ミーツ・ガールを通じて、「ヒト」と「モノ」の在り方や関係性を問いかける、そういった作品になっています。
ストーリー
アニメ公式サイトからストーリーを引用しました。
社会のほとんどを hIE*1と呼ばれる人型ロボットに任せた世界。
17歳の少年・アラトはある日一体のアンドロイド・レイシアに出会い、オーナー契約を交わす。一見人間とそっくりなそれは、人智を越えるアンドロイド〈人類未到産物〉5体のひとつだった——。
5つの機体はそれぞれ意味を持ち、互いの性能を求め戦い始める。
その戦いを傍観することしかできない大人たちと、その存在に近づき新しい関係を試みる少年たち。
進化しすぎた機械と、人間世界を繋ぐのは何か?
便利になりすぎた時代で何が大事で何が必要なのか、アラトは人間よりはるかに優れたアンドロイド・レイシアと出会ったことで未来への選択と、人間とモノとの関係の答えを求められる——。
出典:STORY|TVアニメ「BEATLESS ビートレス」公式サイト
登場キャラクター
ここでは主要キャラクターのみ、簡潔に紹介しておきます。
遠藤アラト
この作品の主人公。17歳の高校2年生。お人好しな性格。
買い物に出た帰りに巻き込まれたhIEの暴走事件でレイシアと出会い、オーナー契約を結ぶ。
レイシア
この作品のヒロイン。レイシア級hIE5号機。人類未到産物(レッドボックス)*2の1体。
淡い紫色の髪とアイスブルーの瞳、透き通る美しさを持つ「人間に未だ明かされざる」道具。
スノードロップが起こしたhIE暴走事件の中でアラトと出会い、オーナー契約を結ばせる。
紅霞(こうか)
レイシア級hIE1号機。 赤い髪に赤い瞳をした、「人間との競争に勝つため」の道具。
レイシアのことを「お姉様」と呼ぶ。
スノードロップ
レイシア級hIE2号機。白いワンピースをまとった幼い少女の姿をした「進化の委託先」としての道具。
作中では様々な惨劇を引き起こす。物語冒頭のhIE暴走事件もスノードロップが起こしたもの。
マリアージュ(サトゥルヌス)
レイシア級hIE3号機。亜麻色の髪とブラウンの瞳をした「環境をつくるため」の道具。
最初はサトゥルヌスと名乗っていたが、後にマリアージュと名乗るようになる。
アニメでは特に活躍の場はない。ぶっちゃけ空気。
メトーデ
レイシア級hIE4号機。オレンジ色の髪と明らかに機械だとわかる「かたち」を与えられた「人間を拡張するもの」としての道具。
作中では次々とオーナーを乗り換えている。
ヒギンズ
作中世界に存在する39機の超高度AIのうちの1体。日本にある「ミームフレーム社」という企業が所持している。
hIEの行動を管理するシステム「AASC*3」の開発と更新を行っている。
レイシア級hIEの生みの親。
ヒトとモノの関係性 -アナログハック-
本作品のキーワードに「アナログハック」という言葉が使われています。
21世紀の現代でも、たとえば警官の格好をした 人形を見ると、人は緊張感を抱く。
これは、人間が同じ人間の”かたち”に反応して、さまざまな感情を抱く本能のせいである。
考えるよりも早く、視覚をはじめとする五感で感情が動いてしまうという意識のセキュリティホールを狙い、人間の”アナログ的な意識”をハッキング(誘導・改変)することを、アナログハックという。
この作用を利用するため、hIEは人間の”かたち”をしている。
出典:KEYWORDS|TVアニメ「BEATLESS ビートレス」公式サイト
例えば作中では、主人公のアラトがアンドロイド(もっと言えば「モノ」)であるレイシアを異性だと意識しているような描写が見られます。
レイシアが同年代の美しい少女という見た目ゆえに、アラトの中でそういった意識が意図せずとも出てしまっているのだと思われます。あるいはそういった意識を持たせるように「アナログハック」されたと言ってものかもしれません。
現実世界でも、ファッションをコーディネートされて店頭に立っている女性のマネキンを見て、綺麗だと思うことがありませんか?
それで、「自分もマネキンと同じファッションをして綺麗になりたい!」と思って、ついついファッションを購入してしまうことってありませんか?
マネキンという人間の形をした「モノ」に、綺麗だという感情を「ヒト」に抱かせること、そこからマネキンと同じファッションを購入させるという目的で人を誘導させていると考えると、これも一種のアナログハックと言えます。
「モノ」を使って「ヒト」を誘導することはそう難しいことではないのです。
現在でこそ「モノ」を使って「ヒト」を誘導する立場にいるのは「ヒト」です。
ですが、誘導する立場にいるのが「モノ」になったとしたら、「モノ」によって「ヒト」が誘導され、改変され、最後には気が付かないうちに「モノ」によって「ヒト」が支配されてしまうのかもしれません。
何をもって人間とするか?人間と機械の境界線はどこか?
アニメ第3話で、レイシアを誘拐されたアラトが警察に通報するシーンがあります。レイシアの誘拐をhIEという「モノ」の窃盗として扱おうとする姿勢の警察に、アラトは憤りを覚え、そこから自分でレイシアを助け出すために動くという流れになっています。
このとき、警察は機体番号と画像があれば送ってほしいとアラトに言っています。
恐らくは、hIEがいくら容姿や言動が人間に近いといっても、それは人間が管理し作り出した「モノ」だという認識が、「機体番号」という言葉で示されているのだと思います。
それに対してアラトは、いくら作られたものであっても、人間と同じように感情をもっているものは人間として扱っても問題ないと考えていたのではないでしょうか。であれば、レイシアを「モノ」扱いする警察の対応が不服だったのも納得できます。
人間という存在をどう定義するかで、hIEやアンドロイドといった人間の形を模した「モノ」の扱いが分かれるいい例だと思いました。
この辺りのことは、身体イメージ論も絡めて考えてみるのも面白いかと思います。
機械の起こした事象の責任は誰がとる?
アラトとレイシアが契約を結ぶにあたって、レイシアが起こしたことの責任はアラトが負うということを説明されています。
そうした描写を見るに、機械が起こしたことの責任は人間がとるようになっていることは分かります。
しかし、スノードロップにはオーナーがいません。スノードロップは自らの力で数々の惨劇を引き起こしていますが、その責任は一体誰が負うのでしょう?
機械という「モノ」が意思を持ち独自に行動した結果起こったことに対して、誰がその責任を背負えるのでしょうか?
それとも責任は「モノ」に背負わせるのでしょうか?
そうなるのだとしたら、本当にヒトは「無責任」になってしまうのだろうと私は思います。
現代社会で進行する「機械化」「AI化」へのアンチテーゼとして
現代社会、もっと言えば今の日本では機械化やAI化のビッグウェーブが押し寄せています。
機械化による人手不足の解消、AI化による業務の効率化、IoT化であらゆるものが繋がる便利で快適な生活…
技術の発達により、こうしたことがいよいよ現実味を帯びつつあります。人間がずっと夢見てきた理想が叶う時は近いのかもしれません。
しかし、その理想の果てに何を得るのでしょうか?
全てを機械に任せた便利な暮らしでしょうか?
上辺だけなぞった「モノ」としか繋がれない虚しさでしょうか?
その理想の果てに何を失うのでしょうか?
「ヒト」の存在意義でしょうか?
「ヒト」の尊厳でしょうか?
これから変化する世界へ、私たちは嫌でも向かっていくことになります。
進化して便利となる「モノ」との付き合い方を考えなければいけない。
そういうことを私は思わせられたのでした。
余談:アニメ作品としての評価、感想
10点満点だとしたら、私は2点をつけます。
それくらいアニメはおすすめできないと思いました。
まず、作画が微妙です。引きのときの顔のとか、所々見ていて「うーん…」ってなる作画をしています。
インターミッションという名の総集編(≒万策尽きてる)を4回もやっておいてこの体たらくかというくらいには残念です。もっと頑張れよディオメディア。
ストーリーも、最終盤辺りでやっと面白くなってきたという感じでしたので、そこまでいくまでが退屈で何回か脱落しかけました。
そこにプラスして、アラトも見ていて「何だコイツ…」と思いました。主人公だから何度も出てくるので、見ていてきつくなることもありました。
私としては、何度も繰り返して見るような映像作品ではないと思います。一回視聴すればもういいです。
ところで、BD版で作画は修正されてたりするのでしょうか?まあ、買う気も無ければ確かめる気も無いのですが。