投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

父方の祖母の納骨をした。

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どうも無職改めアルバイトです(気さくな挨拶)

 

今年に入り、父方の祖母が逝去して、先日に四十九日となったので納骨となりました。

 

90歳という年齢まで、よく生きたなと個人的に思っています。

 

往年になるとボケが見られて、同じ話を何度も繰り返したりしたものですから、歳食ってボケちゃうとこんな感じになるんだなと戦々恐々としました。

 

変な話ですが、完全な認知症になって、自分を自分と分からずに、あるいは家族も誰とも分からずに介護地獄の中で死んでいく、なんてことにはならなくて良かった気がします。そうなったら精神的に色々とつらかったかもしれないと思いますから。

 

父方の祖母には、精神的にふさぎ込んでいた無職の時期に、話しかけられてもひたすら無視するなど、とんでもなく邪険な態度を取っていたのが今になって非常に申し訳ないような、そんな後悔の念を抱いています。

 

幸いなこととして、今年の元旦に死ぬ前に会って「元気になって安心だ」みたいなことを言ってくれて、死ぬ直前まで心配させたままということにはならなかったことが、どうにか後悔の念を緩和させてくれています。

 

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コロナ禍ということで、告別式も納骨も家族と一部の親戚だけという、少人数のこじんまりとした葬儀になりましたが、お坊さんも呼んでお経をあげてもらったりと、しっかりした形でお別れできたことは恵まれていると思いました。

 

お経をあげてもらった後、お坊さんからお話をいただいたりもしました。

「おばあ様は肉体は死んで無くなってしまったけれども、魂は皆様の中で生きている」とおっしゃっていただいたり、「生きている間に善行を積むことがおばあ様の供養にもなる」とのお話もありました。

 

多分、無職のときの精神が荒んでいた私だったら、こんなお話を聞いても卑屈な考えをしてまともに受け取らなかったでしょうね。その点、素直に感心して受け取れたので、私は心穏やかなのかもしれません。

というか、無職であることが卑屈さを生み出し、それを加速させていたのだと思いますが。

 

ともあれ、恐らく次は私の両親が死ぬ番になりましょうから、それまでにしっかりと自立した人間に、親戚の人に会っても堂々としていられる人間になっていたいです。