投資と人生の夢うつつ

元ニート、フリーター、現IT派遣の20代半ばの人間による、投資や生活、その他雑多な話題を書くブログです。

無職引きこもりのニートになって1年目が過ぎてた。

f:id:hitohira_ipen:20191228174152j:plain

 

会社を辞めたのが2019年9月末。今これを書いているのが2020年10月末。

 

そういえば、無職引きこもりのニートになってから既に1年目が終わっていたのかということを、何の気なしに思い出しました。

 

時間は経つのが早いというか、同じことを繰り返しやってそれに慣れてると、体感的に時間が早く流れていくように感じるアレです。そう考えると、仕事を辞めてからの一年何してたんだっけと疑問になりますね。

 

ブログでの収益化を目指して色々やったけど、理想と現実に挟まれて心が折れて結局続けられなくて投げ出したり、就活で精神病んだのを引きずって再度メンヘラ化して、自分が気に入らない社会のあれこれに手当たり次第に噛みついて暴れたり、そうやって満たされない心を満たそうとしては耐えられずに自爆したり…

 

もう、何をやっているんだかわかりませんねこれ。振り返ってみると、そういう自分自身がかなりきつくて醜いなと感じます。

 

無職ゆえに収入が無くて貯金が減る一方だし、このご時世もあって何度も将来を考えては不安になって、そんな膨大な不安の中を生きていても明るいことなんて無いと思って、あれやこれやと良からぬことが頭をよぎることもあります。それでも社会に出て働くのがまっぴらごめんだと考えているので、そういう点では私は救われないのかもしれません。「自分がこの世にいてもいなくても、それでも社会は、世界は回っていく」ということを学んでしまった結果でしょうか。

 

他人がもうすでにやっていることを、ことさら自分が頑張る意義というのを見いだせないんですね。だってもう先駆者がいるなら自分いらないじゃんってなるし、その先駆者がいなくならなきゃその席に座れないじゃんって。こう書き起こすと、やはり偏屈ですね。

 

まあ、こういう底辺の人間がいるからこそ、他の人の叩き台になってメンタルを安定させることができて、それによって社会や世界が円滑に回っていくということで、それはそれである意味必要な存在と言えるのかもしれません。

 

そうやって開き直ったり、それでも底辺が嫌でそこから上に行きたくなったり。そんな無職引きこもりニートの2年目はどうなるのやら。